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浅野拓磨のボーフム移籍で甦る13年前の記憶…坊主頭の日本人が観衆を魅了した1本のダイレクトパス
 

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島崎英純

島崎英純Hidezumi Shimazaki

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photograph byGetty Images

posted2021/07/21 17:04

浅野拓磨のボーフム移籍で甦る13年前の記憶…坊主頭の日本人が観衆を魅了した1本のダイレクトパス<Number Web> photograph by Getty Images

2008年から約2年間、ボーフムでプレーした小野。怪我で出番は限られたが、ピッチに立てば華麗なプレーでファンを魅了した

 後半の半ばを過ぎた頃、背番号23をつけた選手がサイドライン際に立つのが見えました。負傷を繰り返してコンスタントに出場できない日本人選手のことを、周囲のサポーターはそれほど気に止めていないようでした。

 そこはかとない寂寞感を覚えた僕は、自前で購入したゲームチケットを握り締めながら、自分だけは彼の一挙手一投足を追おうと決めました。

 ボーフムが相手の反撃を受けています。味方選手が自陣で相手に取り囲まれて身動きが取れなくなる中、彼が両手を大きく広げて「寄こせ!」と叫んだように見えました。藁にもすがる思いで送られたボールを受けると、背筋をピンと伸ばした青年がノートラップで、遥か遠方の仲間の足下に寸分も違わないミドルパスを蹴り込みました。

 その瞬間、『レビルパワーシュタディオン』の四方のスタンドから一斉に「オオゥ」というため息が漏れ、万雷の拍手がピッチへ降り注いだのです。

 一昨日の夜、中心街のショッピングストリートに設けられた大ステージでオーケストラを率いた指揮者が曲の最後を飾るタクトを振り上げて終演を迎えたとき、辺りには感嘆を帯びた拍手が降り注ぎました。そのときに抱いた感情をサッカースタジアムで体感できた。日本が誇る小野伸二という“コンダクター”は、そうやって自らの力のみで、ヨーロッパの小都市で、その存在を誇示してきたのだと思い至りました。

シーズンチケットの販売数がクラブ記録を更新

 小野がボーフムに在籍したのは2008年1月末から2010年1月初頭までの約2年です。そしてボーフムは小野がJリーグの清水エスパルスへ移籍したシーズンに2部降格を喫し、その後は約11年に渡って昇格が叶わずにいました。

 昨季ブンデスリーガ2部で優勝を遂げ、満を持してドイツ最高峰の舞台であるブンデスリーガへの復帰を果たしたのです。

 2016年に『ボノビア・ルーアシュタディオン』と改称したホームスタジアムは、現在も収容人数が変わっていません。そんな中、クラブはシーズンチケットの販売数が1万4000枚を突破してクラブ記録を更新したことをアナウンスしました。

 来たるシーズンのドイツ・ブンデスリーガは、未だコロナ禍の最中で観客数を制限した開催が予定されていますが、3万人弱のスタジアムに対して、約半数のシーズンチケットホルダーが支えるボーフムの雰囲気は、独特の空気感を生み出してくれるでしょう。

 僕も、ボーフムと浅野拓磨の“冒険”を目撃するために、久方ぶりに同地を訪れることができるのを心待ちにしています。

 最後に、ドイツのラインラント・プファルツ州、そしてボーフムも属するノルトライン=ヴェストファーレン州で発生した豪雨による洪水や家屋倒壊などで被害に遭われている方々に、心よりお見舞い申し上げます。被害地域の一日も早い復興をお祈りいたします。

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