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赤字続きでドン底だった地方競馬の“犠牲”に…“消えた競馬場” 栃木で愛された「宇都宮競馬場」今は何がある? 跡地に行った話
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byJIJI PRESS
posted2021/08/31 11:06
宇都宮競馬場が輩出した名馬ドージマファイター。「栃木の怪物」とも呼ばれた。写真は27連勝を記録したレース(足利競馬場で撮影)
スタジアム(つまり元競馬場)の周囲には、バスの折り返し施設や新しそうなアパートなどがあって、もしかすると競馬場関係の土地を転用したものなのかもしれない。また、スタジアムの2コーナー付近(競馬場時代は3・4コーナー)の向かいには小さな遊園地も見える。とちのきファミリーランドといって、大規模テーマパークとは違うが市民がフラリと遊びに来るような庶民派遊園地だ。
ファミリーランドの奥には、実はさらに陸上競技場や野球場などのスポーツ施設が続いている。カンセキスタジアム以前の栃木県の総合運動施設といえばここだったようだ。実際、1980年にも国体の舞台になっている。
最後に見つけた“バス停”の名前は…
さて、懐かしい雰囲気の遊園地を横目に整備が進むスタジアムの外周をぐるりと歩く。競走馬が走っていた当時の妄想にも飽きて、あとは楕円形の外周以外に何か痕跡は残っていないかと探しながらのお散歩だ。
だが、すっかり作り替えられてしまった宇都宮競馬場の跡地は、ここに競馬場があったことそのものをなかったことにしたいかのような空気すら漂う。赤字で潰れた競馬場だから、地元にとってはそんな扱いなのだろうか。
そう思っていたら、また見つけた。ほとんどスタジアムを一周歩き終えようというあたりで、「競馬場通り」という名のバス停があったのだ。バス停は地図にも載る立派なシロモノだ。競馬場の廃止から15年経ってスタジアムに姿を変えても、バス停は往年の名を留めている。
古ぼけたバス停のポールも競馬場時代からのものだろうか。なんだか、「ここを馬が走っていたことを忘れるな」と訴えているような……というのは競馬ファンの偏った見方であることは間違いない。きっと、スタジアムが競馬場跡地であることを知らない人からすればまさしく「ナゾの停留場」であろう。バス停の名前は消えた地名やなつかしの施設の名を留めていることが多く、意外とおもしろい。
ただ、そんなバス停以外には取り立てて競馬場の跡地であることを思わせるものはない。場外馬券売り場などがあれば雰囲気も高まるのだが、残っているのはバス停と朽ちた駐車場くらいなもの。
カンセキスタジアムは2万5000人以上を収容するという。その数倍の広さだった宇都宮競馬場に2万人以上のお客が入った日はどれだけあったのだろうか。宇都宮でサラブレッドが走らなくなって、もう15年。苦しい時代を乗り切った全国の地方競馬場はいま、活況に沸いている。
(写真=鼠入昌史)
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