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多田修平25歳は高3まで「全国レベルで優勝できなかった」…日本選手権1位に急成長するまで“不調だった3年間”
posted2021/06/29 17:15
text by
生島淳+Number編集部Jun Ikushima + Sports Graphic Number
photograph by
Getty Images
2017年と2021年。
この2年が多田修平の人生を変えた。
高校時代は世代トップというわけではなかった多田だが、大学3年になった2017年に急激な成長を見せた。
彼の名が全国に轟いたのは、2017年6月に行われた日本学生個人選手権の男子100m準決勝。追い風参考記録ながら9秒94のタイムをマークし、その名は全国区となった。
「測定ミスちゃうか? と思ったの覚えてます」と多田は当時のことを振り返るが、好調を維持した多田は、その2週間後の日本選手権ではサニブラウンに次いで2位に入り、ロンドン世界陸上の切符をつかむ。
ボルトにも通用したロケットスタート
多田の魅力は、ロケットスタートにあった。
飛び出してから頭を下げ、視線は下のタータンを見ている。世界でも珍しい独特のスタート方法だが、中学時代から変わっていないという。
そのスタイルがロンドンの世界陸上でも存在感を放つ。
多田は予選、準決勝と世界記録保持者であるウサイン・ボルトと同じ組で走ったのだ。
「ボルト選手と走れるなんて、自分、持ってるなと思いつつも、初めてつけた日の丸で、いきなりボルト選手と走ることになったことでプレッシャーはありました。準決勝の時は、会場がすごく盛り上がっていて、その雰囲気に圧倒されたというか、レース前にビビっちゃったんです。招集所で誰も知り合いはいないし、ガチガチだったんですけど、ボルト選手は本当にリラックスしていたのが印象的でした」
そうは言いつつも、多田のスタートダッシュは世界でも通用した。スタートが苦手なボルトとはいえ、体ひとつリードを奪ったのである。
準決勝でのタイムは10秒26で決勝進出はならなかったが、4x100mリレーでは第1走者として銅メダルを獲得して有終の美を飾った(多田→飯塚翔太→桐生祥秀→藤光謙司)。
「100mのスピードでも、横で走っている選手は見えるんです」
2017年の多田は、とにかくよく走っていた。ロンドンから帰って、台湾で行われたユニバーシアードに参加すると、9月に入って福井で行われた全日本インカレに出場した。
桐生が日本人として初めて9秒台に突入し、9秒98で日本新記録をたたき出したレースだ。
多田はスタートからリードを奪ったが、終盤に入って桐生にかわされ、自己ベストの10秒07で2着となった。このレースを多田はこう振り返る。