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多田修平25歳は高3まで「全国レベルで優勝できなかった」…日本選手権1位に急成長するまで“不調だった3年間”
text by
生島淳+Number編集部Jun Ikushima + Sports Graphic Number
photograph byGetty Images
posted2021/06/29 17:15
日本選手権陸上男子100mを10秒15で制し、初の五輪切符を手に入れた多田修平
「2017年は走るたびにタイムが伸びていったので、楽しくて仕方がなかったシーズンです。日本インカレでは自己ベストを出したんですが、まったくうれしくなくて。優勝を狙ってたところに、桐生選手に優勝も取られ、9秒台も目の前で出され、悔しさが100パーセントで、それしかなかったです。でも、あれは大学レベルの試合じゃなかったですね(笑)」
スタートから中盤にかけてはリードを奪っていたが、後半に引き離されてしまったのには理由があった。
「あのスピードで走っていても、横で走っている選手のことは意外に見えるんです。桐生選手に並ばれるのが分かってから、自分の顔も上がって、力んで、歯も食いしばってしまい、すごく減速してました。100mの最後の鍵はリラックスして走り切ることなんですが、この時は自分でブレーキをかけてしまっているようなもので。100mは誰にも邪魔されませんが、並ばれると動揺はするんです。これは、誰しも克服できない永遠の課題なんじゃないでしょうか」
高3のインターハイは6位…ジャマイカのレジェンドとの出会い
なぜ、多田は急激な成長を遂げたのであろうか。
2014年夏、大阪桐蔭高校の3年生だった多田は、インターハイで6位に入賞している(ちなみにこの年の夏の甲子園では、大阪桐蔭が優勝)。当時のことを多田は、こう振り返る。
「僕は大阪府大会が5位通過、近畿大会も5位通過でどっちもギリギリだったんです。そこからインターハイで6位に入ったんですが、高校時代は全国レベルで優勝できるとは考えてなくて、大学に入ってからある程度の成績が残せればいいかなと考えていました」
大きく飛躍したのは関西学院大学に進んでからで、大学1年の近畿選手権で10秒27の自己ベストで優勝。このあたりから、「日本代表として戦いたい」という気持ちが芽生え始めたという。
この優勝の意味は大きかった。大阪陸協がオリンピアンを育てるために主宰している「OSAKA夢プログラム」の強化指定選手に選ばれ、大学2年から大学3年にかけ、初めて海外に行って合宿を行った。一緒に練習したのは、かつて9秒74の世界記録を持っていたジャマイカのアサファ・パウエルである。