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守備を頑張る宇佐美貴史にシュートする東口順昭、ジュビロの中心にいた遠藤保仁… ガンバを4試合撮って感じたこと【激写】
text by
原壮史Masashi Hara
photograph byMasashi Hara
posted2021/06/13 11:01
自陣のペナルティエリア横で舘幸希と競り合う宇佐美貴史
ビルドアップでノッキングが起きそうになったり、後方で相手のプレスに負けそうになったりした時に、とりあえずここに出しなよ、とばかりに救いとなるパスコースに現れ、そこから再びペースを握る。
苦しくなったら遠藤を見る、苦しくなっても遠藤が現れる。
そういうプレーをこなし続ける姿は、1試合だけを見ても偉大だった。決して磐田が攻撃面で圧倒したわけではない。そんな試合だけでもそうなのだから、ガンバで長く時間を共有していた選手たちにとって、彼の存在が唯一無二であることは想像に難くない。
憲剛がいなくなっても強いフロンターレを思う
もし、今のガンバに遠藤が戻ったら問題は解決するだろうか。
個人的な意見だが――プレー面、精神面でも、全員が遠藤を見てプレーすることで、チームとして最適な場所でそれぞれの個の強さを発揮し、勝利を手にできるのではないか。
しかし、こうも思う。
遠藤という偉大な存在によって問題は解決するが、やはりあまりに偉大すぎる。それは近い将来に問題を先送りにして今を乗り切るだけで、今と同じ、いや、もっと深刻度を増して苦しむことになってしまうのではないだろうか、と。
例えば、川崎フロンターレである。中村憲剛という偉大な存在の“次”を特定の誰かが背負うのではなく、チーム全体、各自ともに継続可能な要素に噛み砕きつつ、分散させることで彼らはさらに強くなった。
中村本人がいながら、緩やかかつ確実にチームの強さを増した――というパターンはそう簡単に実現するものではない。
ガンバというチームは、パトリック・エムボマが豪快なシュートを決めている姿や、大黒将志がいとも簡単に裏を取ってゴールを陥れる姿、宇佐美とパトリックの2トップだけで相手を蹂躙する姿など、それぞれの時期にいたその強烈な個の特徴に合わせてチーム全体がそれをより活かせる形に変化していたはずだ。
そして、遠藤がそれぞれの個を際立たせる存在として中心にいた時期が長かった。ただ、その代役というのはそう簡単に表れるものではない。
卵が先かニワトリが先か――ではないが、最高の個が先行してあるとは限らない。
かつてと同じような戦い方を実現するため、絶対的な選手の出現に期待するのではなく、その時いる選手が最も輝けるチーム作りに全体で取り組む。それによって新たな強さ、そして新しい象徴的な存在が手にできるのではないか。
状況に応じた最適な方法を追求していくことで時代を重ねていく。そんな姿勢が脈々と受け継がれていくことこそ、いわゆる勝者のDNAというものの正体だったりするのではないだろうか。
6月2日、湘南の浮島敏監督に「全てで相手を上回った」と言われるほどに苦しんでいたガンバを目にして終えた取材日程の帰り道、そんなことを考えていた。
ガンバは時代を進めることができるだろうか。それとも――。
いや、きっとできる。
選手の力はあるから、ということではない。選手たち1人1人は問題点を口にしているし、ベストを尽くそうとしているのだから、あとは時間をかけて互いに遠慮なく要求し合っていけば、きっとできる。代表ウィークでの中断と、延期になった試合が連戦として組み込まれていることがプラスに働いてくれるはずだ。