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親日家ストイコビッチは巧くてお茶目でカッコよかった… “アーセナル移籍よりグランパス”秘話と“EUROで見せた意地”とは

posted2021/06/11 11:01

 
親日家ストイコビッチは巧くてお茶目でカッコよかった… “アーセナル移籍よりグランパス”秘話と“EUROで見せた意地”とは<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

名古屋時代のストイコビッチ。EUROでも大活躍した

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NumberWeb編集部

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雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はドラガン・ストイコビッチにまつわる4つの言葉を懐かしの写真とともに振り返ります。

<名言1>
彼(ピクシー)のような選手を日本に連れてくるのは、今ではもう不可能だと思う。
(アーセン・ベンゲル/Number833号 2013年7月25日発売)

◇解説◇
 ピクシーことドラガン・ストイコビッチが名古屋グランパスエイトに加入したのは1994年。当時の年俸は5000万円と、現在の相場から見れば格安である。

「ヨーロッパのサッカー界は、資金力の面で大幅にスケールアップしたからだ」

 かつてベンゲルは、資金力に劣るJリーグに、年俸が高騰した欧州の一流選手を招聘する経済力はないと喝破していたが、イニエスタやポドルスキが神戸に、フェルナンド・トーレスが鳥栖に加入するなど、Jリーグを選ぶスター選手が再び現れたのだから、現実はわからないものである。

 とはいえ、年俸以上に価値のあるスーパープレーを数多く見せてくれたのもまた、ピクシーだった。

 フランスW杯での大活躍、Jリーグでは雨中の伝説リフティングに絶妙なスルーパス、そして監督になってからの“革靴ボレー”などなど。熱くなってイエローカードを頂戴するのはご愛敬。その伝説はお茶目かつ、Jリーグ史上で群を抜いてカッコよかったのだ。

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