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「羽生善治が初登場」1994年名人戦が将棋史の“転換点”だった… 田丸昇九段が語る「米長邦雄vs中原誠」時代と“その後”の秘話
posted2021/05/18 17:02
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph by
Kyodo News
現在行われている将棋の第79期名人戦は、渡辺明名人に斎藤慎太郎八段が挑戦している。その一方で藤井聡太王位・棋聖(以下二冠)らの活躍によって、近年新たに将棋ファンとなった人も多く、昭和期の将棋についてまだ学びの段階という人も多いだろう。
そこで「将棋史」を詳しく知る田丸昇九段に、“さわやか流”で知られる米長邦雄永世棋聖と中原誠十六世名人とのライバル関係や、羽生善治九段との秘話を聞き、その歴史の深さを教えてもらった。
対抗心はあるけど、2人は仲は良かったんです
――米長氏、中原氏の関係性は昭和の将棋史を語るうえで欠かせない2人です。
「2人はまさにライバルという関係でした。年齢的には米長さんの方が4歳上でしたが、結果的に中原さんの方が大山(康晴)名人を破って先に名人になって、2人でタイトルを争った。一方、米長さんは名人戦になかなか挑戦できず、初期の頃はタイトル戦で中原さんに負け続けていた。だからこそ、中原さんに対する思いは強かった」
――2人のライバル心は相当だったことは想像できます。
「対抗心はあるけど、2人は仲は良かったんですよ。中原さんの方が将棋ひと筋でマジメ、米長さんは色々なところに興味を示して、"こっち"の方も盛んだし(笑)。全然違うタイプだったからこそ、名ライバルとして際立ったのでしょう。一緒に飲むということはなかったかもしれないけれど、心の中ではお互いに認め合っていたと思いますよ。
毎週のように2人でタイトル戦の対局を戦った時期があって、それこそ米長さんが『カミさんよりも中原さんと一緒にいる時の方が多い』と言っていた(笑)。"俺を負かした憎いヤツ"という思いがあったとしても、敵というよりも同じ勝負を争う同志のような心情だったのではないでしょうか」
――同志であり、戦友であると。