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【Jリーグ誕生から28年】開幕戦で勝てずに2年の苦戦…“Jリーグのお荷物”と言われた「2つのクラブ」とは?
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2021/05/15 11:03
5月15日は、日本サッカーの歴史が動いたメモリアルデイだ
鹿島は周到な準備をしていた。ジーコ主導のもとで4月にイタリアへ遠征し、セリエAのクラブやクロアチア代表と試合を重ねた。クロアチアに1対7で大敗するなどの厳しい洗礼を浴びるが、当時のメンバーだった秋田豊は「勝つために何をしなければいけないのか、という基準がはっきりしました。プロ選手としてジーコが僕らに求めていることが理解できた」と、のちに振り返っている。
一方の名古屋は、この敗戦に長く縛りつけられることとなる。カシマスタジアムが鬼門となるのだ。
アーセン・べンゲルが指揮しても、ドラガン・ストイコヴィッチが攻撃のタクトをふるっても、Jリーグ得点王となるウェズレイを擁しても、カシマスタジアムでは黒星が続くのだ。初勝利は93年のJリーグ開幕から実に15年後、2008年8月まで待たなければならなかった。
3倍以上のシュートを放つも……「浦和vsG大阪」
開幕戦の黒星がその後に影響を及ぼした意味では、浦和レッズ対ガンバ大阪戦にも触れるべきだろう。
開幕前の評判では、浦和が上回っていた。92年のナビスコカップは、4位の鹿島に得失点差で及ばず準決勝進出を逃した。年末の天皇杯では準々決勝で鹿島に競り勝ち、ヴェルディに改称される前の読売日本サッカークラブとの準決勝は、PK戦までもつれる熱戦となった。「プロなのだから攻撃的なサッカーでお客さんに喜んでもらいたい」という森孝慈監督の狙いが、結果に結びついたのだった。
Jリーグ開幕を前にした評価は、ヴェルディとマリノスを追う第2グループの筆頭といったところだっただろう。G大阪との開幕戦も攻め込んだ。アルゼンチン人FWのフェレイラや福田正博がゴールに迫り、相手の3倍以上にあたる15本のシュートを浴びせた。
しかし、勝ったのは浦和ではない。CKから失点し、0対1で押し切られてしまうのだ。
3日後のホームゲームでも敗れ、開幕から4連敗を喫する。5節で初勝利をあげるが、翌節からは9戦8敗の泥沼にハマってしまう。週2試合開催の過密スケジュールのなかで、浦和は浮上のきっかけをつかめない。