月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
「東京五輪師匠」だけなぜ優遇される? 「国のかじ取りをする人たち」の“スポーツ紙的”決まり文句に要注意!
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byKYODO
posted2021/05/01 17:00
佐藤輝明の活躍に盛り上がる甲子園だが、緊急事態宣言を受け、5月11日までに4試合が無観客開催となる
タイトルは「正念場がいっぱい」(4月25日)。
《国のかじ取りをする人たちが繰り返す「正念場」というフレーズ。他にも「最大の危機」とか「勝負の二週間」とか。これって、スポーツ紙がペナント争いを語るときのキーワードだったりもする。》
なるほどそうだ。
さらに『仙ペン』は「いよいよ分からなくなってきました」というフレーズを取り上げる。
《これもまた実況アナの決まり文句と同じだから嫌になってしまう。》
もう、要注意どころじゃない
たしかに最近「国のかじ取りをする人たち」の口から出る言葉はスポーツ紙っぽい。
でも考えてみよう、そのマズさを。
我々がスポーツ紙を愛するのはその大仰さゆえである。派手でわかりやすい見出しに導かれ、活字でも試合を堪能する。あえて言うなら劇的に盛った楽しさを承知で読者は買うのだ。
しかし「国のかじ取りをする人たち」の言葉には決して大仰さなんて求めていない。劇的さなんて求めていない。しかもですよ、それが「実況アナの決まり文句」みたいになったらますます困る。だって定型文ということでもあるから。陳腐との紙一重と言ってもいい。つまり言葉にもう意味がない、価値がないということなのだ。
「国のかじ取りをする人たち」の言葉が実況アナっぽくなってきたら要注意なのである。
あ、もう要注意どころではありませんでした(これって、まん延防止と言いながら十分まん延していたみたいな感じだろうか)。
以上、4月のスポーツ新聞時評でした。