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「兄はお兄ちゃんではない」 日本レスリング界の貴公子・乙黒拓斗が“精神的な問題”を克服できた理由
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySachiko Hotaka
posted2021/04/28 11:01
乙黒拓斗はアジア選手権を難なく優勝し、東京五輪へはずみをつけた
去年も出場したアジア選手権に出た理由
再び実戦のマットに立つことができたのは今年4月になってからのことだった。カザフスタンで行なわれたアジア選手権。本人の思惑とは裏腹に、前田コーチはオリンピックを前に、ワンクッション置くことの重要性を説いた。
「一回実戦を積むと、そこで新たな課題が出てくる。アジア選手権には去年も出ているので、本人はロシアやヨーロッパの選手と闘える舞台を希望していた。そうなると6月になってしまい、東京オリンピックまであまりにも時間がなさすぎる。そこで『だったらアジア選手権で』ということになりました」
同選手権にエントリーした時点で乙黒は優勝候補の最右翼だったが、果たして初戦となった準々決勝、準決勝を難なく勝ち上がった。もう一方のブロックから勝ち上がってきたのは昨年のアジア選手権決勝を争ったインドの選手だったが、ケガを理由に決勝を棄権。乙黒は労せずしてV2を達成した。
かつては言葉が乱暴になることもしばしばで
14カ月ぶりの試合はどうだったかと水を向けると、試合のブランクを数字で意識していなかった乙黒は驚いた表情を見せた。
「前回の大会からだいぶ成長できた部分もあると思うので、試合ができてよかったと思います」
最も成長できたと思う部分は?
「やっぱり冷静さではないですかね。スポーツではメンタル面も大切。今まではレスリングではなく、そっちの部分があまりよくなかったですからね」
かつての乙黒だったら、試合後の囲み取材でも感情が高ぶると言葉が乱暴になることがしばしば。勝ったとしても優等生的な発言に終始することが多かったので、今回カザフスタンの現場で彼の理路整然とした本音をストレートに耳にした筆者は驚くしかなかった。
裏を返せば、冷静さを欠きながらも乙黒はキャリアを積み重ね、その動きで周囲を魅了する一方で東京オリンピック代表の座を射止めたことになる。乙黒は、それでもいいと思っていたと打ち明ける。
「ずっと勝ち続けていたので、それが正しいと思っていた。でも、試合がない間に冷静になって考えてみたら、そこが自分のダメな部分であることがわかりました」