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「薄底しかありませんでした」35年前の箱根駅伝ランナーが履いていた100gシューズ…東海大・両角速が“厚底”に出会った衝撃
posted2021/04/09 17:02
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
EKIDEN News
長く辛い練習を乗り越えたり、42.195kmをともに戦ったり……。ランナーなら1足のランニングシューズにさまざまな思い出が詰まっているはず。
Number Do最新号では、両角速さん(東海大陸上競技部駅伝監督)、佐藤悠基さん、田中希実さん――3人のランナーに、現在までの競技人生を靴とともに振り返ってもらいました。そのなかから両角速さんの「靴の履歴書」を特別に公開します。
Number Do最新号では、両角速さん(東海大陸上競技部駅伝監督)、佐藤悠基さん、田中希実さん――3人のランナーに、現在までの競技人生を靴とともに振り返ってもらいました。そのなかから両角速さんの「靴の履歴書」を特別に公開します。
私が本格的に競技を始めたのは小学校4年生のときです。メーカーは覚えていませんが、青いナイロンのアッパーに白いラインが入った靴を両親が買ってくれました。
当時は今と違って、色々なメーカーやモデルがあったわけではありません。裕福で恵まれた時代でもないので、ランニングシューズと言っても、そんなに多くの選択肢はありませんでした。お店に行って、勧められた靴を履いていた感じでした。
それでも中学生になると、だんだん靴の大切さを実感し始め、メーカーを気にするようになりました。一番最初に覚えているメーカーはアシックス。当時、瀬古利彦選手が履いているのを見て、アシックスの靴がいいんだろうなと思って、中学・高校はアシックスを履いていました。
もうひとつのメーカーはハリマヤ。今の方は知らないでしょうけど、すごく格好良かったんですよ。カナグリ ノバというシリーズがあって、ナイロンのような質感がメインの時代に、バックスキンのようなマテリアルの赤のアッパーに、金のラインが入った靴を履いていました。自分でお小遣いを貯めて買っていましたから、普段のジョギングと大会で使い分けるぐらい。今の選手のように何足も持てませんでしたし、1足を大事に履いていた覚えがありますね。
約35年前の箱根駅伝で履いていた“薄底シューズ”
大学1年の箱根駅伝では、モデルは忘れましたが、アディダスの黄色のシューズを履いていました。2年生でアシックスのサポートを受けるようになり、レースシューズはマラソンソーティー100に。