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東京五輪を逃した34歳の“天才ランナー”佐藤悠基が鈴木健吾の日本記録を「更新可能な記録」と語る理由
posted2021/04/07 11:03
text by
酒井政人Masato Sakai
photograph by
AFLO
12月4日の日本選手権10000mで27分41秒84の7位に入ると、元日の全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)は最長4区(22.4km)で区間賞をゲット。一時は低迷した印象のある佐藤悠基が再び、輝きを放ちはじめた。昨年11月26日に34歳を迎えた“天才ランナー”に何が起きているのだろうか。
佐藤は中学(3000m)、高校(10000m)、U20(5000m)と各世代の記録を塗り替えると、箱根駅伝では3年連続で区間新記録を樹立。日本選手権10000mでは4連覇(11~14年)を達成して、ロンドン五輪(12年)にも出場した。
10000mの高校記録(28分07秒39)は16年以上、大学2年時に打ち立てた箱根駅伝1区の区間記録は最古のもので14年以上も破られていない。しかし、佐藤は年齢的に考えると“集大成”となる東京五輪の男子マラソン代表内定を手にすることができなかった。
「東京五輪は大きな目標でした。MGCとMGCファイナルチャレンジの東京マラソンでは代表争いに絡むことができず、単純に自分の力不足だったかなと思っています」
「結果的にはゴールすらできませんでしたけど……」
MGCは23位に終わり、MGGファイナルチャレンジに最後の望みをかけた。だが、昨年の東京マラソンは第2集団でレースを進めて、35kmで途中棄権。そのため佐藤は東京五輪のマラソン代表を逃したことについてメディアにほとんど語っていない。どんな状態だったのだろうか。
「実は左アキレス腱に不安を抱えていたんです。痛いのを我慢しながら無理してトレーニングをやっていた時期もありました。練習の段階で、第1集団でのペースは想定していなかったので、第2集団で行きました。30km以降に余裕があれば自分でペースを上げればいいだけですからね。結果的にはゴールすらできませんでしたけど……。棄権の原因は左アキレス腱に痛みが出て、それをかばって走っていたことで、ふくらはぎがつるなどの影響があったからです」