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“ヤバい登山”は何歳まで出来る? 52歳サバイバル登山家は“隠居”へ「ギリギリ失敗した山が一番面白いけどいつか死ぬ」
text by
稲泉連Ren Inaizumi
photograph byMasato Kameda
posted2021/04/10 17:02
廃村・小蕗の古民家で五右衛門風呂に入る服部文祥さん
服部 かつて自分が登山にリスクを求めることによって生きる実感を得ようとしていたのは、やっぱり若かったからだよね。身体がいくらでも動いたし、身体能力が伸びていく。何かができるようになる度に面白かった。
もちろん死ぬのは怖かったから、いつも揺れ動いていたなあ。例えば、大学1年生の時の北鎌尾根の吹雪、とか、翌年には山岳部の友達と北アルプスのちょっと有名なバリエーションルートとか。登山でヤバい思いをしたら、「もうこんなことはやめよう」とそのときは思うんだけれど、しばらくしたら一転して「やっぱりやってみよう」となってさ。要するに「サバイバル登山」もそうだけれど、リスクを取るときのアドレナリンを脳が求めるように登山をしていたわけだよね。
ところが、50歳近くになって身体能力が伸びなくなってくると、そうしたアドレナリン系の楽しさによって「生きる実感」を得ることに疑問を抱くようになってきた。体力自体が落ちているとは思わないし、その分だけ技術があるから昔と同じ登山は今でもできるけれど、筋肉の質が悪くなるからかケガもするようになったしさ。
その意味では、以前に(探検家の)角幡(唯介)くんが「体が動くのは40歳くらいまでだから、その時期に自分の集大成と言える活動をしなければならない」と書いているのを読んだときは、すごいなと思ったよ。肉体的なピークが事前にわかっていたのか、と。
自分の集大成ってなんだろう、と考えてみて、「あれ、ねえや」と。若い時も結局は死ぬのが怖くて、そういうことをあまり考えないようにしていたんだろうな、という気もする。どこかで自分は逃げていたのかもしれないね。
登山を教えてくれた和田城志が「ぎりぎり失敗した登山が一番面白い」と言っていたけれど、それはその通りだと思う。でも、それをずっと追い求めていくと、いつかは死んでしまうでしょ。アドレナリンというのは、「初めてやる」という初期衝動があるからこそ出る。となると、身体能力が伸びなければ、その人にとっての新しい登山、本物の登山はできなくなる。いわば、登山とは持続可能な行為ではないんだね。ならば、身体能力が下り坂に入ったとき、自分はどんな生き方をすべきなのか。それが自分にとっての大きな課題になってきたんだ。
「あれ?」鹿を撃つときに考えること
――そのなかで新しく見えてきたことはありますか。