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“ヤバい登山”は何歳まで出来る? 52歳サバイバル登山家は“隠居”へ「ギリギリ失敗した山が一番面白いけどいつか死ぬ」
text by
稲泉連Ren Inaizumi
photograph byMasato Kameda
posted2021/04/10 17:02
廃村・小蕗の古民家で五右衛門風呂に入る服部文祥さん
服部 自分が人生の登りの時期を終えて、緩やかな下りの時期を迎え始めたという感覚を覚えるようになったのは、40代の半ばを過ぎたあたりからだね。そして、そう意識したときに遠くに見えるようになったのは、やっぱり「死」ということになるのだと思う。若い頃、ひたすら山を登っているとき、「死」は自分の中での概念でしかなかった。ところが山頂を越えて向こう側がふと見えてくると、「あれ?」という感じがし始めた。
狩猟をしていて鹿を鉄砲で撃つとき、特にその感覚が自分の中で強まる。山の中で鹿を撃つ。半矢で逃げていく鹿をナツが追いかけ、俺もそれを追っていく。逃げていく鹿はゆっくりと死んでいく存在なわけだけれど、自分もまた、年老いて死に向かっている存在であって、それはその坂道の角度に過ぎないのかもしれない。
そんなふうに、ベクトルとしては下に向かっている自分の存在を意識しながら、じゃあ、どんなふうに生きていくのか。うまく言えないけれど、環境になるべく負荷を与えず、ただただ自力での「生活」をしようと試みる今の古民家での暮らしは、そういうバランスの上に浮かんできたものである気がするんだ。
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