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トルシエと日本代表がモメた日… 中田英寿や中村俊輔の“招集騒動”、ジーコを「消費者」と皮肉ったワケ【66歳に】
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/03/21 06:01
日本を初のW杯ベスト16に導いたトルシエ監督だが、様々な衝突があった
「私は監督だが、ジーコは消費者だ」と皮肉ったワケ
<名言3>
私は監督だが、ジーコは消費者だ。
(フィリップ・トルシエ/Number580号 2003年7月10日発売)
◇解説◇
2003年のコンフェデレーションズカップ、日本はグループリーグで敗退した。内容的には好ゲームもあったのだが……「日本が負けたのはジーコの選択の問題」とかつての代表監督トルシエは一刀両断した。
「私のときとは違い、ヨーロッパ組の招集も簡単ではない」とフォローしつつも、「ジーコは選手を消費する。彼は最高の選手を選び、選手は彼の求めに応じて自由にプレーする。しかし彼は何も作り出さない。彼自身がチームにプラスアルファを何も与えない」と皮肉った。
<名言4>
トルシエがそのまま監督を続けていたら、もう代表には来てなかったかもしれない。
(中田英寿/Number PLUS September 2003 2003年7月11日発売)
◇解説◇
ジーコ監督の下で代表キャプテンを務めていた時期のインタビュー。トルシエに対して、様々な思いが去来していたことは間違いない言葉である。
トルシエと中田英をめぐる“確執”で有名なのは、2001年のコンフェデレーションズカップだろう。日本代表はFIFA主催の国際大会でA代表としては初となる決勝進出を成し遂げた。そのけん引役となったのは、当時大エースだった中田英だったことは誰もが知るところだ。
6月7日の準決勝オーストラリア戦。大雨洪水警報が出されるほどの豪雨となった横浜国際総合競技場、前半43分に日本はゴール正面20mほどの位置で直接FKのチャンスを得る。ここでキッカーの中田は相手の虚を突いた。水に濡れたピッチ状況を見極めて、グラウンダーのシュートを放つと、ジャンプした壁の足下を鮮やかに抜いてゴールネットに突き刺さったのだ。
オーストラリアに押し込まれる試合展開となった中で1-0の勝利に日本中が沸いたが、中田にとってオーストラリア戦がこのコンフェデでのラストゲームだった。それは同時期に当時所属していたローマ(セリエA)で優勝争いを繰り広げていたため、準決勝後にチームに戻る事が決まっていた。しかしこれ以降、トルシエは中田とローマを何かと批判するようになったのである。