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「もし当たれば死ぬ」と打者に思わせた沢村栄治の“絶頂期”と田中将大「24勝0敗」シーズンの成績を比べたら
posted2021/03/21 17:02
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
Digital Mix Company.
そんな沢村栄治の一生を綴った『沢村栄治 裏切られたエース』(文春新書)より、公私ともに沢村の絶頂期だった1937年の大阪タイガース戦をもとに、現在の日本球界の大投手と比較しつつ、その凄みを描いた一節を抜粋する(全2回の2回目/#1はこちら)。
こうして、職業野球2番目となるノーヒット・ノーランを、初の達成に続いて宿敵であるタイガース戦で成し遂げた栄治だったが、この快挙の日の夜、息抜きに出た銀座からの帰り道で20歳の青年の運命を大きく変える出来事があったと、鈴木惣太郎がその著書『不滅の大投手沢村栄治』に記している。
いつの頃からか、東京での試合になると必ずバックネットに近い一塁側スタンドの決まった位置に1人座る若く美しい女性の姿が巨人軍ナインの間で話題になっていて、栄治も少なからず意識していたのだが、その女性が突如目の前に現れたのというのだ。
「銀座でも散歩して早く宿舎ほてい家に帰って休養をとるのがよいと思いついて、4丁目の角から京橋の方へ引きかえそうとした。そのとき彼の目の前にさっと現われた麗人がいた。沢村投手はその瞬間錯覚にとらわれているのではないかと思って、もう1度目をみはって凝視した……が、たしかに、間違いなく“一塁スタンドの令嬢”である。(中略)“沢村さん今日はお目出とう……記念にこのハンド・バッグの裏にサインして下さい……”と、少しもはばかるところもなく、正面切って申し出た……。(中略)沢村投手は、震える手でやっとサインを終えると、万年筆とハンド・バッグを彼女の方に押しやるようにして逃げ出した」
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これが、栄治の短い生涯の伴侶となる酒井優との出会いだったという。その翌日の試合にも、彼女の姿は一塁側スタンドの定位置にあった。
この頃から、徴兵検査を受ける7月までの3カ月弱の期間が、栄治の投球の絶頂期といえるだろう。
栄治の高速球には、当たれば死ぬと思わせる凄みがあった
5月5日、新装なった西宮球場でのこけら落としの一戦に先発した栄治は、東京イーグルスを3安打、4奪3振、4球1で、許したランナーが4人だけという快投で完封した。
2日空けた5月8日には、このシーズン好調の阪急戦に先発して、この試合も3安打、7奪3振、4球3で、味方エラーによる1失点に封じてチームの2対1の勝利に貢献した。
この試合の栄治の球威がいかにすさまじかったか――。ゴロアウトが当たりそこねのピッチャーゴロが3つに、振り遅れの一塁ゴロがひとつだけ。あとはすべて三振とフライアウトだが、フライアウトのうち6個がファウルフライというのだから、ほとんどの打者が球威に押し込まれて、まともな打球が前に飛ばなかったのがわかる。
近年可能になった膨大な野球データの解析から、投手がアウトを取る確率が高いのは、1番が三振、2番が内野フライ、3番が内野ゴロであるから、この試合の栄治の投球は、相手に得点を与えない理想的なものだったことがわかる。
この頃の栄治の投球をセカンドから見守っていた三原は、
〈沢村の高速球は、もし当たれば死ぬと打者に思わせる凄みがあった〉と証言している。