Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「忘れようと思いました」10年前 “3.11の決戦” 屋敷伸之vs松尾歩、敗者が失った“途轍もなく大きな何か”とは
posted2021/03/11 17:02
text by
北野新太Arata Kitano
photograph by
Nanae Suzuki
【初出:Sports Graphic Number1018号(2021年1月7日発売)「<3.11の対局から10年>屋敷伸之-松尾歩「途上の一夜」」/肩書などはすべて当時】
東西で行われたB級1組の6局で最も早い終局だった
窓外が夜の闇に包まれる頃、これから終盤の決戦という時間帯に勝負は突然の崩壊を告げる。
「3手先の対応をうっかりする致命的なミスを犯して、善後策もないような展開になって。振り返ると、これをうっかりしたのか? と思ってしまう一手です。でも、ただ力がなかっただけで。地震が影響したとか動揺したとかいう言い訳だけは当時も今もしたくないです」(松尾)
「局面が収まればこちらが有利にはなるとは思いました。ただ、暴れてくる手順もあるので警戒していて。局面としては差がつき始めても、勝つまではずっと難しい展開が続いていくと思っていました」(屋敷)
午後11時34分、持ち時間を1時間37分も残して松尾は投了した。東西で行われたB級1組の6局で最も早い終局だった。
「棋譜を見ると、こんなに時間を使ってなかったのか、と。僕の甘いところなのかもしれないですね」(松尾)
「大一番でしたけど、あのような状況で、お互いに全力で指して、無事に終えられた思いもありました。棋士としての務めは果たせたと」(屋敷)
日付が変わってからも続いた感想戦の最後に、松尾は「御粗末でした」と言った。長く、奇妙で、不本意な勝負を終えた。
「あのような夜でしたけど、どうしても真っすぐは帰れなかった」
対局室を出た屋敷は将棋会館の公衆電話から自宅に連絡した。「終わったよ」と伝えると夫人の声が聞こえた。「おめでとう」。
「とにかく自宅に戻ろうと思いました。世の中の状況を把握できていれば、将棋会館に留まる選択肢もあったかもしれなかったですけど、電車が動き始めていたことも分かったので」
徐行運転の電車を乗り継ぎ、数時間を掛けて最寄駅まで辿り着いたが、人々で溢れた構内から地上に出るまでさらに数時間を要した。自宅に着いたのは朝方だった。