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10年前、将棋会館は激しく揺れた A級をかけた“屋敷伸之vs松尾歩”、盤の前からすぐには動かなかった理由

posted2021/03/11 17:01

 
10年前、将棋会館は激しく揺れた A級をかけた“屋敷伸之vs松尾歩”、盤の前からすぐには動かなかった理由<Number Web> photograph by Kazufumi Shimoyashiki

2011年3月11日、屋敷伸之九段(右)と松尾歩八段はA級昇格をかけて順位戦に臨んだ

text by

北野新太

北野新太Arata Kitano

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Kazufumi Shimoyashiki

東日本大震災から今日で10年。10年前の今日、ある2人の棋士が初のA級昇格を懸けて、大一番の対局に臨んだ。そこで、屋敷伸之九段と松尾歩八段が“3.11の対局”を振り返った記事を特別に公開する。〈全2回の1回目/#2へ続く〉

勝った方が初のA級へ――。その対局は、2人の棋士が雌雄を決する戦いだった。世界が大きく揺らいでも、将棋の鬼たちはただひたすら目の前の勝負に生きた。あれから10年が経とうとしている。彼らは今もなお頂への道を歩み続けている。
【初出:Sports Graphic Number1018号(2021年1月7日発売)「<3.11の対局から10年>屋敷伸之-松尾歩「途上の一夜」」/肩書などはすべて当時】

「いってらっしゃい! パパ頑張ってね!」

 午前8時半過ぎ、自宅を出る屋敷伸之は陽希君の声を背中で聞いた。いつもと変わらない。対局に臨む朝の風景だった。5歳の長男はパパが将棋の棋士であることをもう理解していた。

「必ず対局の日は気を遣って送り出してくれるんですよ。あの日も同じようにしてくれましたし、自分の気持ちも普段と変わらなかったことを覚えています。良い将棋を指したい、という思いだけでした」

 一方の松尾歩は、いつもとは微妙に異なる自分の心模様に気付いていた。

「どこか普段とは違う感覚だったんです。やはり勝負将棋ですから、期するものはありました」

 変わらない朝、どこか違う朝。それぞれの2011年3月11日が始まった。

 真冬並みの寒さに包まれた一日。第69期順位戦B級1組最終一斉対局が東西の将棋会館で行われた。首位を走った名人経験者・佐藤康光が既にA級復帰を決めており、残る昇級枠はひとつ。7勝4敗の2位タイで並ぶ屋敷と松尾による直接対決の勝者が初のA級切符を手にする決戦となった。

「分かっていたのは、簡単には勝たせてくれないことくらい」

 遥かなる名人位を目指す順位戦は最も長い歴史を持つ棋戦であるだけでなく、棋士にとっては自らの「格」を決める闘争でもある。頂点にいる10人で名人挑戦権を争うA級に次ぐB級1組には、順位換算をすると全棋士約170人のうち11位から23位までの実力者13人が集う。タイトル保持者や経験者、A級在位の長かったベテラン、一気に駆け上がってきた若手俊英が熾烈な昇降級争いを展開するため「鬼の棲み家」とも呼ばれている。

 当時39歳の屋敷は弱冠18歳でタイトルを獲得し、2020年に藤井聡太に破られるまで年少記録を30年間保持した早熟の天才である。不思議と順位戦では苦しみ、C級1組に14期も停滞したことは今も「将棋界の七不思議」のひとつに挙げられている。

 当時30歳の松尾は奨励会三段リーグを1期で突破した棋歴を持つ。「松尾流」の名を与えられた戦法をいくつも考案した研究家であり、升田幸三賞も受賞している。

【次ページ】 午後2時46分、激しい揺れが対局室を襲った

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