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兄・弟と一緒にオリンピック出場の快挙! 田中理恵が語る体操一家・田中家の教育法

posted2021/03/03 11:00

 
兄・弟と一緒にオリンピック出場の快挙! 田中理恵が語る体操一家・田中家の教育法<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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photograph by

Kiichi Matsumoto

2012年のロンドンオリンピックで、日本体操史上初となる3きょうだい揃っての五輪出場を果たした田中家。ただでさえ難しい代表の切符をなぜ揃って手に入れられたのか。田中理恵が田中家の教育法を振り返る。

 物心ついた時には、家の中にトランポリンや鉄棒、庭には競技用のトランポリンもあって、遊び道具が体操競技の器具だったんです。だから飛んだり、回ったり、跳ねたりしたいと思うのは自然なことでした。

 兄が先に体操競技を始めていたのですが、見ていてとても格好良くて。小学校1年生の時に「体操をやりたい」と両親に言ったのを覚えています。

 ただ「体操をしなきゃ」と思ったことはありませんでした。

 放課後、みんなはお友達の家に遊びに行きますが、私たちは好きな体操をしに遊びに行くという感覚。この感覚を父はすごく大事にしていました。

「ずっと体操をやりたかったら、体操を好きでいなさい。体操は遊びなんだよ。楽しくなくなったら遊びじゃないし、自分のやりたいようにやりなさい」と小学校の頃はずっと言われていました。

“田中家のルール”ができたきっかけ

 一度、体育館から帰る車の中で、練習を見ていた母に「どうして理恵、今日立たされて怒られてたの?」と聞かれたことがありました。その時、すごく嫌な気持ちになったんです。今日怒られた内容や、練習について、ここでもう1回言わなきゃいけないの? って。

 別に意地悪をしたわけではないのですが、母の車に乗ったら何か聞かれるかもしれないとみんなが思ったのでしょう。翌日から3きょうだいとも母の車には乗らず、父の車に乗るようになりました。

 その時両親は「家では子供から『今日こういう技ができたよ』と自慢をしたがる環境作りをしなくてはいけない」と話し合ったそうです。そこからは家の中では、両親から体操の話を持ち出さないというのが、田中家のルールになりました。

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