情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER
WBO王座防衛戦で「急性硬膜下血腫」、23歳で引退に追い込まれ…山中竜也25歳は今なぜオニギリを握るのか
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2021/02/23 06:00
2018年03月18日、WBOミニマム級タイトル戦で王者・山中竜也(左)はモイセス・カジェロスにTKOで勝利し、初防衛に成功。この約5カ月後に引退するとは誰も想像できなかった
トレーナーを打診されたが断った
1週間後に退院して自宅に戻り、療養を終えるとロードワークを再開させる。しかし引退は揺るがない事実。理解しようとしていても、心と体が拒絶した。8月31日に正式に引退を表明しながらも、セカンドキャリアなど考えることもできない。10月13日に引退式のテンカウントを聞いて、ようやく「もう大好きなボクシングをできない」と理解できた。気がつけばリング上で、スーツ姿で号泣していた。
山下会長からはジムのトレーナーを打診された。
しかし人の練習に付き合っていたら、絶対にボクシングをやりたくなってしまう。それにトレーナー業はボクサーの人生を背負うことにもなる。まだ23歳。「僕には無理です」と断ったものの、何をやればいいかまったく見えてこなかった。
そんな折、1本の連絡が入った。後援者から「北新地でおにぎり屋さんをオープンする構想があるんだけど、どうや?」と誘われたのだ。
長谷川穂積のSNSがきっかけだった
ある会食の席で尊敬するジムの先輩、長谷川穂積が山中の写真を撮ってSNSでアップしたことがきっかけだった。顔がおにぎりに似ているということでタイトルは「おにぎりマン」。この投稿に後援者が目を留めたのだった。
飲食のアルバイト経験があるとはいえ、料理なんてほぼやっていないに等しい。そこまでの興味もない。一度丁重に断ったが、その1カ月後に再び打診された。後援者の熱意に押される形で「分かりました。僕でよければお願いします」と覚悟を決めた。
やるとなったら、ガムシャラにやるしかない。
オープンは2019年4月と決まっていた。準備期間は半年ほどしかない。料理学校に通って基礎から学び、定食屋に修業で入って接客のノウハウを学んだ。自宅に戻っても、時間があったらご飯を炊いて、おにぎりを握った。母・理恵さんや弟、妹たちに食べてもらって、感想を聞いた。