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10年前、将棋会館は激しく揺れた A級をかけた“屋敷伸之vs松尾歩”、盤の前からすぐには動かなかった理由 

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北野新太

北野新太Arata Kitano

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photograph byKazufumi Shimoyashiki

posted2021/03/11 17:01

10年前、将棋会館は激しく揺れた A級をかけた“屋敷伸之vs松尾歩”、盤の前からすぐには動かなかった理由<Number Web> photograph by Kazufumi Shimoyashiki

2011年3月11日、屋敷伸之九段(右)と松尾歩八段はA級昇格をかけて順位戦に臨んだ

 午前10時、東京・将棋会館4階「高雄の間」で対局は始まった。後手の松尾が自ら創出した流行戦法「横歩取り△8五飛戦法・松尾流△5二玉型」を採用し、戦型が確定した。

「後手番でも積極的に指せますし、いちばん研究を深めていた戦法でしたので、使いたいなと自然と思ったんです。屋敷さんは戦略家というよりは地力で勝つ棋士。大きく構えるので、戦いが起きてからが勝負になると思いました。分かっていたのは、簡単には勝たせてくれないことくらい」(松尾)

「松尾さんは研究の深さと思い切りの良さというバランス。攻防のバランスの棋士ですね。松尾さんが指す松尾流ですから、当然考えていました」(屋敷)

午後2時46分、激しい揺れが対局室を襲った

 定跡通りに進む盤上に変化が現れたのは、昼食休憩明けだった。1時間12分の長考の末、屋敷が指したのはディフェンスラインの中央に角を打ち据える一手。「指すためには大きな決断を要する一手でしたけど、長考した末、行ってみようかと」一見しただけでは狙いの見えにくい戦略に命運を託した。

 意外な一手に、松尾も長考に沈む。

「一気に攻め掛かって来ることも考えられる局面だったので、少し珍しいなと思ったんです。ふわっとした抽象的な手なので。自分の側に正確な対応策があるのではないか、というのが第一感でした」

 応対を間違えれば形勢を損ねるが、巧みに乗り越えれば主導権を握れる勝負所。思考の細部に深く潜っていた午後2時46分、激しい揺れが対局室を襲った。

 当日、東京・将棋会館ではB級1組の3局を含めて10局の将棋が指されていた。震度5の衝撃に築35年の会館は激しく震えた。

「湯呑みが倒れてお茶が茶托にこぼれたのを見て、これはちょっとただ事ではない地震かもしれないと直感しました」(松尾)

「今まで経験したことのない縦揺れだったので、まず思ったのは柱が潰れてしまわないか、ということでした。でも、松尾さんの手番でしたから、自分から何か言い出すのは少し躊躇いました」(屋敷)

 突然の異常事態にも、対局中の棋士たちは盤の前からすぐには動かなかった。誰も何も発さずに平静を保とうとした。

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