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「1勝すらできず、31年ぶり2部落ち」“笑わない男”稲垣啓太が号泣した日…“人生初の挫折”を大学恩師が振り返る
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2021/02/05 17:03
関東学院大学4年時に主将を務めたものの入れ替え戦に敗れ、31年ぶりに2部落ち。陥落決定直後の稲垣の写真を、当時の指導者・春口廣が見る。
「それに、キャプテンにどういう人間が向いているか、なんて、わからないものですよ。実際ものすごく適当な性格の男がキャプテンをやってうまくいったシーズンもあったし、ものすごく頑張り屋の男がキャプテンをやってうまくいった年もあります」
2部に落ちたのは、あのチームにはいい選手が揃っていなかったから。春口の分析ではそういうことになる。
小言を言う監督と逃げる選手…板挟みになったキャプテン稲垣
加えて、今になって春口が考えるのは、長く続いた栄光の日々の陰で、チームの土台が少しずつ腐食してゆき、あの年に崩壊したのかもしれない、ということだ。
関東学院大学ラグビー部の選手は、全員が寮に入る。当時チームの選手数は110人前後。稲垣のように図抜けた存在はそれほど多くなく、全員が近い実力値の中でAチーム入りを目指して切磋琢磨していた。
誰もが自分はあいつより優れている、と思っている。そう思えなければやっていけない。しかし1人、また1人と誰かがドロップアウトして、グラウンドから姿を消す。
最後まで頑張ろうよ、と声をかける仲間がいないわけではないが、一度切れてしまった緊張の糸はもう元のようには繋がらない。
キャンパス内で春口の姿を見かけた途端、きびすをかえして姿を消す選手、寮で隠れてタバコを吸う選手……。春口の苛立ちは増し、さらに厳しい言葉が選手たちの頭上を通り過ぎてゆく。
「寮に足を運ぶこと自体が、だんだん嫌になってくるんですよ。だって、行けば必ず小言を言ってしまう自分になるから」
選手たちの心は春口から離れてゆき、その選手たちに春口はさらに腹を立てる。選手とそんな監督の間で板挟みになりながら、稲垣が取った選択は、自分が何もかも引き受けて頑張る姿を見せれば必ずチームは立ち直る、というものだった。
今回の記事では、春口元監督に続き、1学年下でプレーしていた後輩、そして、稲垣と仲の良かった同級生たちに話を聞いて、僕なりに当時のキャプテン稲垣啓太の姿を浮かび上がらせているつもりだ。
多感な若者たちと勝利を追求する指導者、稲垣がキャプテンだった頃を追いかけていると、大学ラグビーというなんだか随分と複雑に入り組んだ世界が見えてきた。と同時に、その世界でキャプテンという、もしかすると彼には向いていなかった重責を任された稲垣の苦悩も感じられる。
タフな男の心が、ほんの少し折れた年の話。ぜひ読んでいただければ、と思う。