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「登山家が瞬間冷凍で亡くなっています」“自殺的行為”なのに…なぜ栗秋正寿は冬のアラスカ登山に挑み続けた?
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byMasatoshi Kuriaki
posted2021/01/30 17:05
2007年フォレイカーの最終キャンプ(4080m)の雪洞で停滞中に栗秋が撮影した写真。頂上アタックのチャンスをひたすらに「待つ」シーン
栗秋 はい。〈ばかげたこと〉と訳したところは、もともと英語で〈ridiculous〉と表現されていた部分です。最初は自殺的行為と訳そうかと思ったんです。『自殺』ではないけど、『的』ならいいかなと。そっちの方が本来の意味は伝わりますよね。だから、私も山に入るときは、いつも「お手柔らかにお願いします」という感じでした。相手が大き過ぎますからね。そもそも、冬に登らせてくださいというのが虫のいい話であって。
――素朴な疑問ですが、そんなところになぜわざわざ行くのでしょう。
栗秋 太古の昔から続く条件の中、自分で道をつくっていくことが私の中の登山。あえて困難な状況を求めるつもりはないのですが、それこそが登山の本質だと思うんです。標高の高さと、登頂の難易度は、必ずしも比例しません。デナリより標高が低いフォレイカーとハンターの方が傾斜はきついんです。それと、標高が高い方が、風にさらされていて雪が硬い。そのぶんピッケルやアイゼンのスパイクもきくし、ずんずん歩ける。そこへいくと、ハンターなどは急峻な上に、雪も不安定。ザラザラと落ちる雪を眺めていると、まるでアリ地獄の中で登山しているような感覚になります。腰ぐらいまであるザラメ雪の中を泳いでいるみたい。泳いで、泳いで、1日で100メートルぐらいしか進めないこともある。しかも、そうして8往復ぐらいしてようやくルートをつくって、明日から荷揚げだと思ったら天候が悪化して道が消えてしまったこともあります。登頂できなかったハンターはラッセル、消失、ラッセル、消失の繰り返しでしたね。
――これもみなさんよく言います。栗秋正寿は、ナンバーワンじゃないけど、完全なオンリーワンだと。
栗秋 百人いたら百人のアルピニズムがある。それでいい。私はアラスカに惚れてしまったわけですから。それも冬山に。
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