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“4人に1人が死ぬ山”K2の冬季初登頂 「ギャラも出ないのに山に登る意味はない」ネパール人が本気になった 

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森山憲一

森山憲一Kenichi Moriyama

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posted2021/01/25 18:00

“4人に1人が死ぬ山”K2の冬季初登頂 「ギャラも出ないのに山に登る意味はない」ネパール人が本気になった<Number Web> photograph by Getty Images

K2(8611m)。登山の困難度ではエベレストをはるかにしのぐ

 登頂メンバーは計10人。ニルマル・プルジャ率いる6人と、ミンマ・ギャルジェ・シェルパ率いる3人、そしてソナ・シェルパ1人である。彼らはそれぞれ別のチームで登山活動を行なっていたが、最終段階で協力し合い、10人で同時に山頂に立った。山頂直下で10人がそろうのを待ち、ネパール国歌を歌いながら山頂に立ったという、なかなか熱いエピソードも伝わっている(ニルマル・プルジャが投稿した登頂のシーン:https://twitter.com/nimsdai/status/1353269945254162432)。

 シェルパというのはネパールの民族、シェルパ族のことで、エベレストの山麓に住む彼らは、長年、ポーターやガイド役としてヒマラヤ登山に貢献してきた。エベレスト初登頂者として歴史にその名が刻まれているテンジン・ノルゲイもシェルパ族である。

 標高3000m前後の地に暮らし、日々高地トレーニングをしているような環境で育った彼らは、高所で抜群の強さを発揮する。

「ギャラも出ないのにわざわざ山に登る意味はない」

 2001年に冬のローツェ(8516m)にトライしたことのある山岳ガイド、花谷泰広は、ローツェで一緒に登ったシェルパについて、自身のYouTubeチャンネルでこのように語っている。

「それまで僕のなかでイメージしていた『人間の枠』を彼があっさりと打ち壊した。人間って、こんなに強くなれるんだと感じたのを覚えています」

 当時の花谷は25歳。体力面では絶対の自信があったころだが、まったくかなう気がしなかったという。

 だが、シェルパにとって登山は、趣味でもなければ自己表現のフィールドでもなく、あくまで仕事の場。登りたいという人をサポートすることで対価を得ることが目的である。いわば裏方の職人なわけで、彼らは自身で登山隊を率いることはなく、登山家として脚光を浴びることもないというのが、長年の常識だった。

 実際、花谷が「それだけ登れるなら、登山隊のサポートではなく、自身がクライマーとして登ったほうがいいのではないか」と聞いたところ、当のシェルパはそれはありえないと即答したという。ギャラも出ないのにわざわざ危険を冒して山に登る意味はないということだ。

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 しかし近年、そんなシェルパの世界に少しずつ変化が見られていた。サポート役ではなく、自身が主役として登山の表舞台に立つ例が目立つようになってきているのである。

 ひとつの例は2017年。世界最強のクライマーと謳われたスイスのウーリー・ステックが、エベレストの難関ルートを計画し、そのパートナーにシェルパの青年を選んだ。ステックとタッグを組むことのできるクライマーなど、世界に何人もいない。その青年、テンジ・シェルパは、ビジネスではなくクライマーとしての価値を求めてステックとエベレストに向かった(ステックの不慮の死によって計画は中断したが)。

【次ページ】 ヒマラヤ高所登山はネパール人の独壇場に?

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