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タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph byKYODO
posted2021/01/24 17:02
現役時代の野口進のブロマイド。「最高最大の豪傑ボクサー」と呼ばれた
《井上蔵相私邸爆破事件及びその副産物として発生した直訴事件、民政党本部花火事件、井上蔵相脅迫事件の犯人主犯高畑正(三一)を始め(中略)野口進(二五)等関係者十四名は警視庁、刑事部捜査第二課で取調中》(昭和6年6月11日付/東京朝日新聞)
ここにある「井上蔵相私邸爆破事件」とは、時の大蔵大臣、井上準之助邸が右翼に襲撃された白色テロである。政友会と袂別し、リベラル色の強い民政党の浜口内閣に入閣した井上準之助は、以前より右翼から脅迫めいた嫌がらせを受けていた。その一つに数えられる爆破計画に、拳闘のスターも駆り出されたということだ。余談になるが、井上はこの翌年、右翼の暗殺団「血盟団」に殺されている。
またもや、野口進の直情径行を示すエピソードと言えるが、このときは服役することなく、数日収監されたのち釈放、何事もなく拳闘に戻った。戦前のこととはいえ、荒唐無稽すぎて、筆者は論じる言葉を持たない。
フランス人ボクサーとの“華々しい熱戦”
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拳闘家、野口進の現役生活のクライマックスを挙げるなら、読売新聞社主催「日仏対抗戦」ということになろう。
読売新聞社主、正力松太郎は「販売部数拡大」「新規広告の出稿」「興行収入」の一石三鳥を企図し、「水雷作戦」と称した自社イベントを幾度となく催している。「本因坊対呉清源」の囲碁の対局や、多摩川園における「菊人形展」、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらメジャーリーガーを招聘した「日米野球」は1931年と34年の二度に及び、その後のプロ野球設立の布石ともなっている。
1933(昭和8)年の5月から7月にかけて開催された拳闘の「日仏対抗戦」は、日米野球の次に規模の大きいイベントとなった。フランス人ボクサーを招聘し、日本のトップ選手と対戦させたこの企画は、開催前から話題を集め、前売券は飛ぶように売れた。特に6月の甲子園球場での興行は、野外スタジアムにおける初のナイターの拳闘興行となり、1万5千人の観衆を集めている。
その甲子園大会のメインイベントに出場した野口進は、フランスのキキ・ラファエルと対戦し《華々しい熱戦》(昭和8年6月25日付/読売新聞)の末引き分け。7月に横浜公園球場で行われた再戦では惜しくも判定負けを喫するも、彼が日本を代表する人気拳闘家だったことはもはや紛れもない事実だ。
元首相テロ未遂……そして大量飲酒ののち昏倒
ちなみに、この「日仏対抗戦」で頭角を現したのが、早大在学中のフライ級ボクサー、堀口恒男(ピストン堀口)だった。3月に日本拳闘倶楽部からデビューしたばかりの堀口は、甲子園大会の2週間後の7月3日、早稲田戸塚球場に集まった3万人の大観衆の前で、元世界王者のエミール・プラドネルと互角の戦いぶりを見せ、一躍人気選手に躍り出た。