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タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2021/01/24 17:02

タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か<Number Web> photograph by KYODO

現役時代の野口進のブロマイド。「最高最大の豪傑ボクサー」と呼ばれた

「ピス健(※嘉納健治のこと)は、親父が柔拳をやっていたから声をかけたって言っていた。柔拳をやっていなければ引っ張っていなかったって思うと、不思議な縁だね」(野口修 ※拙著より抜粋)

 嘉納健治がどういう意図で野口進を引っ張ったのか、そもそも野口修の証言は正確なのか、今となっては知る術もないのだが、この邂逅は、双方に利点をもたらすことになる。

 吉田司家をはじめ、角界にも影響力を持っていた嘉納家の立場を利用して国技館の興行権も握っていた嘉納健治は、1927(昭和2)年6月4日と5日の2日間、6階級の日本選手権試合を両国国技館にて開催。5日のメインイベントに出場した野口進は、ヤング・ジャクソン(アメリカ)を3ラウンドKOに破り、日本ウェルター級王座を獲得する。

 そこから、佐藤東洋、池田福太郎、大森熊蔵、熊谷二郎、川田藤吉ら同じ階級の日本人を総なめ。日本人に負けなしのボビー・ウィリス(フィリピン)にも五戦全勝。同じく日本人キラーのテリー・セコンド(アメリカ)にも四戦全勝と、期待通りの快進撃を見せている。

《ファイトスタイルは力士出身らしく、前進あるのみの典型的なファイタータイプ。ガードもお構いなしに、相手を叩きのめす好戦的なものだが、闇雲に拳を振り回すだけの選手とも違った。器用さを持ち合わせていたのは、通算五十六戦のうち、三十六戦が外国人相手であることからも判る。不器用だと外国人選手に忌避されるのだ。

 国際戦が頻繁に組まれた理由は、それだけではない。勇猛果敢に攻め込み、多くの観客を熱狂させている姿を嘉納健治は見逃さなかった。大衆のナショナリズムに訴えかけたのだ》(※拙著より抜粋)

タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし……

 このまま、拳闘界の第一人者として王道を歩むものと思いきや、デビューから5年後の1929(昭和4)年8月11日未明、神田のタクシー会社に乱入した野口進は、複数のタクシー運転手を日本刀で斬りつけるという蛮行に及んでいる。一人は手首を斬り落とされてもいる。特にタクシー会社に私怨があったわけではなく友人の喧嘩の加勢だった。諸々の事情はあったろうが、直情径行では済まない驚愕の事件である。

 ここで疑問なのは、拳闘家らしく素手で制圧できるはずの野口進が、なぜ日本刀を使ったのかということだ。それも被害に遭った運転手は口を揃えて「あれは剣術師範の腕前」と供述したという。生前の野口修は「親父の剣術はピス健の道場で身につけたもの」と証言した。というのも嘉納健治は、自邸の庭に構えた道場で、拳闘のみならず、柔術、剣術、槍術の稽古も奨励していたのだ。そこには叔父にあたる講道館創始者、嘉納治五郎の影響があったと見られる。この複雑極まりない事情については、別の機会に改めて論じたい。

右翼テロで大蔵大臣を襲撃

 1年7カ月の服役後、拳闘の世界に復帰した野口進は、メインイベンターとして再び同じ階級の日本人をなぎ倒し、国際戦でも戦績を重ねている。しかし、懲りない彼はまたもや事件を起こす。今度は義憤に駆られた私闘ではない。思想信条に関わることだった。

【次ページ】 フランス人ボクサーとの“華々しい熱戦”

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