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「イタリアがバルサのようになった!」と現地メディア 攻撃重視の流れで“ロッシ2世”は生まれるのか
posted2021/01/07 17:00
text by
神尾光臣Mitsuomi Kamio
photograph by
Getty Images
2020年、イタリアの人々は多くのものを失った。
新型コロナウイルス感染症の拡がりにより尊い人命が失われたことに加え、2度に渡るロックダウンや幾多の接触制限により生活様式が変わった。
ご存知の通り、サッカー界も大きな影響を受けた。セリエAは再開するか否かで揉めに揉めたのち、現在は無観客でシーズンを続けている。
そんな1年の締めくくりに、イタリアのサッカー界は大きな損失を経験した。
アルゼンチンのみならず、ナポリにおいても市民の心の拠り所となっていたディエゴ・マラドーナ氏の死、そして、パオロ・ロッシ氏の死だ。
ロッシ氏は1982年スペインW杯の優勝メンバー。ブラジル戦でハットトリックを決めるなど大活躍し、最終的には6得点を挙げて優勝に貢献。しかし、その存在は単なるエースストライカーとしてではなく、国民のスターとして認識されていた。
明るく気さくなキャラクターでファンの心を掴み、引退後にはテレビにも登場していた。『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙は「大衆の心に近く、歴代のイタリア選手の中で最も愛された選手」と表現していたが、その言葉はよく立ち位置を表現していた。
1982年W杯アズーリは「模範とすべき代表」
12月12日、ビチェンツァの大聖堂で行われた葬儀は国営放送『RAI』で生中継された。新型コロナウイルス対策のために葬儀の出席者は300人に制限されたものの、イタリアのサッカー関係者がずらり。
ロッシ氏の棺は、マルコ・タルデッリ氏やブルーノ・コンティ氏など、スペインW杯で世界の頂点を極めたメンバーによって運び出された。
「模範とすべき代表だったか? その通りだね。(スペインW杯から)38年が経ってあの選手たちが壮年になっても、みんな人気を集めている。試合では一丸となってプレーしていた彼らが、ストライカーの死に悲痛な顔で棺を担いでいたあのシーンを見て、あの優勝の根源は何だったのか、改めてわかったんじゃないかな。あれは、セメントのように硬い結束で結ばれた真の男たち、英雄たちによってもたらされたタイトルだったんだ」