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「つぶしてしまったんだよ」消えた“スポルティング移籍”の裏で、松井大輔が語った「怒りと謝罪」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byYOKOHAMA FC
posted2020/12/14 17:02
ベトナムのサイゴンFCへ移籍を発表し、セレモニーに臨んだ松井大輔
リスボンへの移籍が白紙になった裏で……
「街にあったプロクラブをつぶしてしまったんだよ。グルノーブルのサポーター、街の人たちの気持ちを考えたら……」
2011年夏、グルノーブルからディジョンへ移籍した松井は、怒りを込めてそう語っていた。
2004年に経営難だったところを日本企業が買収したグルノーブルは、多額の投資によって立て直され、2008年には見事リーグアンに昇格を果たす。新しいスタジアムも建設されたのだが、その一方で経営状態は徐々に悪化していた。
その時、2009年から所属していた松井はW杯南アフリカ大会の活躍によって「ポルトガルの名門スポルティングへの移籍が大筋合意」と報じられるのだが、なかなか話は進まなかった。移籍金で折り合いがつかなかったのだろう。
「待つしかないんだよ」
移籍マーケットが閉まる直前の取材で、松井はこぼした。
W杯の結果によって、グルノーブルが想定する松井の移籍金が高騰したのかもしれない。しかし、クラブの経営状態では松井を移籍させて、彼の年俸分を浮かせるという考えもできたはず。結局、松井のポルトガル移籍は成立せず、3カ月の期限付きでトム・トムスクへの移籍となった。
その後グルノーブルは、2010-2011シーズンにリーグドゥから3部リーグへ降格。そのうえ、破産申請をせざるを得ない状況に陥り、さらに2階級降格、プロライセンスもはく奪され、アマチュアチームとなった。在籍するプロ選手は、すべてフリーで移籍し、グルノーブルの街からプロクラブが消滅した(2018-2019シーズン、リーグドゥに昇格)。
松井の「つぶしてしまった」という言葉は、オーナーと同じ日本人として、その責任を痛感したうえでの憤りだった。ポルトガルに移籍できなかったことで責めているのではなく、クラブを愛するグルノーブルの人たちのことを想っての謝罪でもあったのだ。
劣悪な環境、文化や言語の違い……それでも
海外挑戦を続ける松井を見てきて、印象的な出来事がもう1つある。それは2010年10月のこと。ソウルでの代表戦のあと、長いメールが届いた。
ソウルから在籍チームのあるロシアへ、やっとのこと帰宅したものの、アパートの設備が壊れていた……という内容だった。