JリーグPRESSBACK NUMBER
「つぶしてしまったんだよ」消えた“スポルティング移籍”の裏で、松井大輔が語った「怒りと謝罪」
posted2020/12/14 17:02
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
YOKOHAMA FC
松井大輔。その名前をTwitterで見たとき、まず思い浮かんだのは「引退」という言葉だった。
39歳で迎えた今季は怪我もあり、リーグ戦に3試合しか出場していない。現役を退く決断もある意味自然なのかと思える年齢で、そういう季節になってきたんだなと思った。
しかし、飛び込んできたのは「ベトナムのサイゴンFCへ移籍」というニュース。驚きという感情とともに、心が躍った。この年齢で「海外挑戦」ができるなんて、世界を見渡してもそうある話ではないだろう。
彼はまた新しい挑戦を求めて、旅立った。
それぞれの街で会った“松井大輔”
京都、パリ、鹿児島、ル・マン、サンテティエンヌ、グルノーブル、トムスク、ディジョン、ソフィア、グダニスク、磐田、オポーレ、横浜。
松井がプレーしてきた街を列記してみると、それぞれの街で会った松井のことを思い出す(中学時代に短期留学したパリ、高校時代の鹿児島、トムスク、オポーレには行っていないけれど)。
2004年から4年間在籍したル・マン。クラブハウスはまだコンテナが並んでいるだけだったけれど、隠れ家のような美味しいフランス料理の店がある小さな街で、松井は人々に愛されていた。
サンテティエンヌ(2008-2009)では、2人いるオーナーの争いに巻き込まれながら「代理人がオーナーと話す場に俺も行って、話をしようと思うけれど、俺のフランス語だと子どもがモンク言っているみたいになっちゃうかなぁ」と、現状の深刻さを笑い飛ばしていた。
そこから「本格的にフランス語を勉強しないと、子どもに追い抜かれちゃうかもしれない」と、父になった松井が話したディジョン時代(2011-2012)。
「今日、隣には松井がいるから、安心してね」と、なぜかVIP席に通されたソフィア(2012-2013)。松井のプレーを見に来たのに、本人は怪我をして試合には出られず、隣に座りながら「あの人がオーナーで……」と解説をしてくれたこともあった。
ベルリンでブンデスリーガを見たあと、深夜バスで到着したグダニスク(2013)では、試合後、最後にロッカールームから出てきた松井が大きな荷物を抱えて、少し照れたように笑っていた。
「で、どこ行く?」
一緒にいるのは取材をする数時間だけなのだけれど、懐かしい友人に会ったような気分になる。いつも松井は友人を迎えるようにエスコートしてくれた。そして、決まって話してくれたのはその街のことだった。