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「つぶしてしまったんだよ」消えた“スポルティング移籍”の裏で、松井大輔が語った「怒りと謝罪」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byYOKOHAMA FC
posted2020/12/14 17:02
ベトナムのサイゴンFCへ移籍を発表し、セレモニーに臨んだ松井大輔
当時、松井が在籍したロシアのトム・トムスクは、シベリア西部にあるチームで、代表戦のあったソウルからはロシア経由でも乗り継ぎが悪く、三十数時間はかかるほどの遠さ。そのため、中国を経由して中央アジアへ飛び、陸路で帰宅するという方法をとっていた。
悪路を何時間もかけて、たどり着いた我が家でのアクシデントを綴るメールは淡々としていたが、心底疲れたに違いない。それでもどこか達観したような空気が漂っていた。
こんな話もあった。W杯南アフリカ大会後のことだ。グルノーブルの家へ戻ると、空き巣に入られていたという。話を聞いたのは事故から数年経っていたこともあり、すでに笑い話だった。
「家にいないってことが知られていたんだよね、きっと(笑)」
劣悪な環境も文化や言語の違いも、あらゆる不自由もすべて、彼はいつだって糧として貪欲にむさぼり、消化し、人生の血肉にしてきた。
「いろんな人種がいて、そういう人と出会って話すことで人間としての幅が広がる。サッカー以外でも、新しいものに触れられるという経験は財産になる。違う目線でいろんなものが見られる」
ベトナムへの移籍会見で、松井は海外へ移籍することの意味を問われてそう語った。日々、サッカーに携わる時間は、数時間に過ぎない。それ以外の「暮らし」を松井はひたすら楽しむ。
ル・マンへ行った直後、うれしそうに教えてくれたことを思い出す。
「カフェで、初めて会った人と気がついたら、2、3時間話し込んでいるっていうことが、結構あるんだよ」
故郷の貧しい家族のためにプレーするアフリカ出身の選手の姿に、日本では想像もできなかったプロとしての新しい覚悟を知ったのも、ル・マンでの出来事だった。
「自然体でつかみどころがない」
今回の移籍は、横浜FCにオファーが届いた。アジアで戦えるクラブに成長させたいというサイゴンFCからの期待を受けて、松井のなかに新しい野望が芽生えているに違いない。
意気込みはある。でも、それを見せない。それが松井流だ。