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「馬喰町」って読める? 地名に見る馬と日本人の濃厚な関係 練馬、高田馬場、上馬、駒沢に前橋も
text by
今尾恵介Keisuke Imao
photograph byNumberWeb
posted2020/11/04 11:00
馬喰横山駅には馬のオブジェがある。馬と人は長い間共に生きてきた
日本橋馬喰町は恐ろしい地名ではない
巨大都市だった江戸市中に馬がどのくらいいたのか知らないが、当然ながら博労さんの町もあった。博労は馬喰、伯楽など表記が何通りかあるが、江戸の場合は馬喰町。現在でも中央区日本橋馬喰町として続いており、総武線にも馬喰町(ばくろちょう)駅がある。地名辞典によれば、幕府の博労頭をつとめた高木源兵衛と富田半七が居住していたことにちなみ、当初は「博労町」と表記していたのを正保年間(1644-48)に馬喰町に変更したという。
馬市の立つ町で、慶長7年(1602)にはこの町以外で馬の売買を禁止する制札が出ていた。ということは、十分メンテナンスできていない馬を他の場所で安売りする業者がいて苦情が絶えず、取り締まったのではないだろうか。いつの時代も市場経済の振興と市民生活の安定のバランスをとるのは政治の役割である。今なら自動車をめぐる貿易摩擦に通じる重大事で、生活に密着していた馬だからこその馬の地名群であった。
そういえば、駅という字も馬偏が付いているが、もともと駅(驛)は宿場の意味を持っていた。原義は宿から宿を結ぶ「早馬」だ。鉄道の駅はもともと停車場(ていしゃば)と呼ばれていたが、宿場を馬が結んでいた時代がだいぶ遠くなった大正期あたりから徐々に停車場を「駅」と呼ぶようになる。時代は進み、馬力から電力に変わった車両があちらの駅からこちらの駅へと人々をせっせと運んでいる。