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「馬喰町」って読める? 地名に見る馬と日本人の濃厚な関係 練馬、高田馬場、上馬、駒沢に前橋も

posted2020/11/04 11:00

 
「馬喰町」って読める? 地名に見る馬と日本人の濃厚な関係 練馬、高田馬場、上馬、駒沢に前橋も<Number Web> photograph by NumberWeb

馬喰横山駅には馬のオブジェがある。馬と人は長い間共に生きてきた

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今尾恵介

今尾恵介Keisuke Imao

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 競馬界が熱いらしい。その世界にまったく疎い私の耳にさえもコントレイルの名は聞こえてくるので、きっと相当なものだろう。それでも東京競馬場には2回ほど行ったことがある。ぎっしりいっぱいのスタンドで双眼鏡を覗く「玄人筋」をよそに、周囲の芝生でお弁当を広げてピクニックがてら見物する家族連れを見て、それまでの競馬のイメージは変わった。

 10万人内外の観客が巨大スタンドでレースを見守るような洋式競馬のルーツをたどれば明治以降に居留地の西洋人がもたらしたものであるが、日本では昔から素朴な村の競馬は行われてきたし、それより日常生活での馬と人との関係は今よりずっと深かった。

馬は日本人にとって大事な頼もしい助っ人

 もちろん武士に馬術が必須であったのは言うまでもない。乗馬で移動するのはもちろん、イザとなれば馬上で戦うのだから、「やっと乗れます」程度では刀槍など振り回せない。誰もが走りながら的を射る流鏑馬(やぶさめ)ができるレベルであろう。かつてモンゴルへ行った時に見たのは、遊牧民が馬上で携帯電話を手にして笑い声を立てながら自在に馬を操る姿である。彼らは子供の頃から馬に馴染んでいるので、ほとんど自分の体の一部のように馬を操縦できるらしい。

 それはともかく日本でもかつての農民にとって馬との関係は濃厚で、農作業でまさに「馬力」の必要な場面では頼もしい助っ人であった。南部の「曲り家」のように馬と人が同じ屋根の下で生活を共にしていた歴史もあり、松尾芭蕉が泊まった際の「馬の尿する枕元」の俳句からはその雰囲気が伝わってくる。

 しかし馬はなかなかデリケートな動物だそうで、食べ物から蹄(ひづめ)に至るまでずいぶん気を遣ったらしい。博労さんは馬の売買やレンタルをするのだが、今のように獣医さんがいない時代には健康管理も彼らの大事な仕事だった。

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