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「馬喰町」って読める? 地名に見る馬と日本人の濃厚な関係 練馬、高田馬場、上馬、駒沢に前橋も
text by
今尾恵介Keisuke Imao
photograph byNumberWeb
posted2020/11/04 11:00
馬喰横山駅には馬のオブジェがある。馬と人は長い間共に生きてきた
練馬、高田馬場、駒込、駒場…
それほど人間と縁が深かった馬であるから、これに由来する地名が発生するのもしごく当然で、馬にちなむ地名は都内だけでも少なくない。まず23区名の中にも練馬区があるし、その中の町名ともなれば馬込、高田馬場、上馬、下馬、若い馬を意味する「駒」のつく地名なら駒込と駒場がすぐに思い浮かぶ。
世田谷区の上馬と下馬は昭和7年(1932)に東京市内に編入されてからの地名で、それ以前は上馬引沢・下馬引沢と称した。長い地名なので、二子玉川をニコタマと呼ぶような略称が正式になったのだろう。なお上馬引沢は明治12年(1879)までの中馬引沢のエリアを含んでいるので、江戸時代は上・中・下馬引沢村の3村で、元禄以前は全体が馬引沢村と称した。
地名の由来として伝わっているのは、源頼朝が奥州征伐の途上で乗っていた馬が沢に落ちて死んだ説、頼朝への貢馬(みつぎうま)を荏原郡より引いていったところ、この地で倒れた説などいろいろあるそうだ。一般に地名の由来として伝わるものは行基や弘法大師、平将門や頼朝、あるいは義経など歴史的人物に関連させることが多く、だいたい眉唾モノが多い。とはいえ馬が生活を共にする身近な動物ゆえに多くの地名になったことだけは間違いないだろう。
駒澤大学も馬引沢に関係している!
すぐ近くの駒沢という地名も馬引沢に関係していて、上馬引沢・下馬引沢・野沢・深沢・世田ヶ谷新町・弦巻の各村とその他の飛び地が明治22年(1889)の町村制で合併した際、上・下馬引沢を「駒」、野沢・深沢を「沢」として合成した駒沢村が発祥だ。東京市内の曹洞宗大学が大正期にここへ移転した後で改称したのが駒澤大学である。