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日本のスクラムの強さとは一体なにか? 堀江翔太、稲垣啓太らを突き動かした「慎さん」の情熱と探究心
text by
倉世古洋平(スポーツニッポン新聞社)Yohei Kuraseko
photograph byAFLO
posted2020/11/02 11:01
長らく日本の弱点と言われてきたスクラム。長谷川慎コーチはフランスやヤマハで培った技術を日本代表へ還元した
「原点を思い出させてくれた」
この時、長谷川は10人を相手にしてスクラムを組ませた。いささか古風な取り組みに映るが、生身の相手と本気で組み合うことこそが、上達の近道だったようだ。
「テクニックで色んなことをやりすぎて根本的なことを忘れていた。ヤマハが僕らを上回るスクラムを組んでくれ、覚悟を決めて組むという原点を思い出させてくれた」
長谷川は、網走合宿の財産をそう口にした。スクラムの3大ポイントは「組む前、組んだ瞬間、組んだ後」だという。その真ん中、組んだ瞬間に「しっかり組む」ことが10日間の網走合宿で飛躍的に伸びた。低すぎるスクラムから低いスクラムになり、W杯直前の南アフリカ戦でもがっぷり4つで組み合えた。「あの試合で自信を付けた」。7-41で完敗したが、長谷川はスクラムに明るい兆しを感じ取っていた。
スクラムを勉強するために渡仏
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「スクラム番長」「スクラム職人」
長谷川のあだ名はどれもスクラムにまつわるものだ。サントリーのコーチを離れた後、社業に戻り、群馬で営業マンをしていた。その職を投げ打ってプロコーチとなり、スクラムを勉強するために渡仏。そこで得た財産でヤマハをスクラム王国へと育て上げると、16年10月、ジョセフHCの打診を受けて代表コーチに就任した。突き動かしたのは、現役時代の悔しさだ。
「リーチに1度、『慎さんはなんでW杯に行きたいんですか』と聞かれたことがある。選手として、W杯に2大会7試合も出て、全て負け、帰ってきた時に何も残らなかったと思った。だからこそコーチになって、W杯で勝ちたい――そう答えたよ」
長谷川は代表40キャップのプロップだった。強面の風貌から、力一辺倒の選手だったと思い込んではいけない。03年W杯フィジー戦。自陣に蹴り込まれたボールを、バックスのように追いかけ、タッチへ蹴り出してピンチを脱した。巨体のプロップは、視野が広く、機転も利く名手だった。
大胆にして緻密。それはコーチになっても変わらない。網走合宿中、報道陣に「スクラム中にお尻から下をカメラで撮らないで」と、異例の通達を出したのも細かな取り組みを知られたくないから。8人が同じタイミングで押せるよう、数cm違いの足の置き位置、足の運び方にこだわった。ロックの膝の伸び方、フランカーが押す角度……。細部に目を光らせた。