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「昔は裏切り者と散々叩かれました」 甲子園準V2度の名将、“20年不出場”の伝統校で「3年目の敗北」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2020/10/25 17:00
学法石川の佐々木監督。2018年から同校で指揮を執る
「中学生の頃から『学法石川の監督は佐々木だ』と入学してきてくれたのは、今の1年生からなんです。ですから、その三段階で言えば、実質まだ1年目なわけです。ということは『失敗してもいいんだぞ』の段階ですよね。だからと言って、今年から『3年計画』でチームを育成するというわけではありません。僕が監督になってから在籍していた選手たちの姿を後輩たちが見て、いろんなものを学んで吸収して、そうやってチームが成長していってくれるのがベストですよね」
佐々木による補足で合点がいったような気がした。この三段階のプランは、あくまで選手たちに向けたものであるのは間違いない。ただ、翻って考えてみると、それは佐々木本人にも該当するのではないかとも思うわけだ。
昔は「裏切り者」とか散々叩かれましたから
仙台育英の監督としてチームを春夏合わせて19度も甲子園に導き、うち2度の準優勝と実績は申し分ない。その名将が、12度の甲子園出場を誇りながら1999年以降、全国の舞台から遠ざかる学法石川の復権を託されたわけだが、「重圧はなかった」という。
それは、東北高校出身の佐々木が、宮城の覇権を二分する最大のライバル校である仙台育英に赴任した経緯が大きく関係している。
「福島で言うなら、聖光学院の斎藤(智也)監督が日大東北の監督になるようなものですからね。僕が最初、仙台育英のコーチになったときなんて『裏切り者』とかね、それはもう散々叩かれましたから。そういう経験をしているので、どんな畑か知らない、縁もゆかりもない学法石川さんの監督を引き受けるのになんの抵抗もありませんでした」
学法石川は「野武士のような雰囲気だった」
佐々木には実績がある。だからといって、その“ブランド”が誰にでも通用するわけではない。多感な高校生からすれば、在学期間中に監督が代わるというのは、ある種の悲劇だ。前監督と地道に築き上げた信頼関係が消滅し、新監督と一からそれを構築することに辟易する人間がいたとしても不思議ではない。佐々木自身、学法石川の監督となった当初は、そういった選手の機微を少なからず感じた。
「まあ、すべてがポジティブなものではありませんでしたよね。当時の選手のことを考えれば仕方がないのかもしれませんが」
佐々木が監督になる以前の学法石川は、野武士のような雰囲気があった。我が強い選手が多く、試合では常に睨みを利かす。威圧感はあるが、一方で劣勢に立たされると、ズルズルと相手ペースに引きずり込まれる脆さもあった。