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武豊「コントレイルは乗りやすいディープインパクトというイメージです」“歩く競馬四季報”が語る血統の面白さ 

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片山良三

片山良三Ryozo Katayama

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photograph byAsami Enomoto

posted2021/04/11 06:00

武豊「コントレイルは乗りやすいディープインパクトというイメージです」“歩く競馬四季報”が語る血統の面白さ<Number Web> photograph by Asami Enomoto

「血統を見ることが昔から好きだった」と語る武豊がその魅力を語った

ノーザンテースト産駒は総じて乗りやすかった

 武がデビューした'87年は、ノーザンテースト('71年カナダ産)の時代、真っ只中だった。武が騎乗して大活躍したイナリワンの功績でミルジョージ('75年米国産)が地方も合わせた総合リーディングに輝いた'89年を除き、'82年から'92年までJRA、総合共に首位の座を堅持した大種牡馬だ。

「ノーザンテースト産駒は、総じて乗りやすい馬が多かったですね。混戦に見えても、終わってみればノーザンテーストの仔が勝っていたという感じ。ダートでも強かったし、欠点が少ないことを強みとして、長く結果を出し続けた印象です。また、次の時代に入っても、母の父としての存在感がすごかった。サンデーサイレンスの仔たちとは全然違うタイプなんですが、主役を譲ったあとも、隠し味としてずっと機能していました。両者の血がうまくクロスしたんでしょう。ノーザンダンサー産駒のノーザンテーストは主にフランスで走りましたが、日本の競馬に絶妙にマッチしたんですね。この時代は日本で生まれた内国産種牡馬というのが格下扱いされていて、実際に外国産種牡馬に敵わなかったんですが、ノーザンテーストが大成功したことで内国産種牡馬も増え、日本の血脈全体が生き生きと力をつけていきましたね」

「マーベラスサンデーの乗り難しさが印象深い」

 ケンタッキーダービーをはじめ、米国の最も重要とされるレースを勝ったサンデーサイレンス('86年米国産)が日本に放出されることになったのは、その導入に情熱とお金(1100万ドル=当時のレートで16億5000万円)を惜しみなく注いだ故吉田善哉氏(社台グループの創始者)の絶大な功績であるのは間違いない。しかし現実的には、その父ヘイローの産駒の活躍が芳しくなかったからとも言われている。サンデーサイレンス自身の馬相も、後ろ脚が人間でいうところのエックス脚で、成功することは絶対にないと断言する専門家も当時は少なからず存在したという。大きなお金が動く種牡馬ビジネスは、今も昔もそれ自体がハイリスクなギャンブルなのだ。

 騎手目線による種牡馬の評価は、その産駒に実際に騎乗し、遺伝子を肌で感じたうえでのものなので、具体的かつ実践的だ。検証と言い換えることもできるほどの価値がある。

「サンデーサイレンスの初年度産駒の中の1頭、マーベラスサンデー('97年宝塚記念)の乗り難しさが印象深いです。一瞬の加速の速さを武器としていたのは、その後に続くサンデー産駒に共通したものでしたが、あの馬は先頭に立たせたら、そこでスピードを緩めてしまうんです。後方にいても、あっという間に先頭に立てるだけの切れ味を持っているんですが、それを早めに使ってしまったら味消しになってしまう。ぴったりゴール板で差し切るのが唯一無二と言えるベストな騎乗なので、楽に勝てそうな相手にも離して勝つ競馬はできませんでした。難しいけど、乗っていて面白い、勉強になる馬でしたよ」

「先頭に立とうと思えば、いつでもできる」と乗り手に感じさせるのが、サンデーサイレンスが産駒たちに伝えた飛び抜けた瞬発力だ。武が表現するところの「一瞬で景色を変える力」は、ニッポン競馬の血統を一気に進化させた。

【次ページ】 ベガもエアグルーヴも、いい仔ばかり産んで

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