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武豊「コントレイルは乗りやすいディープインパクトというイメージです」“歩く競馬四季報”が語る血統の面白さ 

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片山良三

片山良三Ryozo Katayama

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photograph byAsami Enomoto

posted2021/04/11 06:00

武豊「コントレイルは乗りやすいディープインパクトというイメージです」“歩く競馬四季報”が語る血統の面白さ<Number Web> photograph by Asami Enomoto

「血統を見ることが昔から好きだった」と語る武豊がその魅力を語った

暇さえあれば種牡馬の広告を見ていた

 サンデーサイレンスについては言うまでもないが、アンブライドルドも、その仔アンブライドルズソングを経て、コントレイルの母の父の父となっているのだから、日本の競馬に重要な役割を果たしていることがわかる。

「血統を調べる、というか見ることが昔から好きでした。『競馬四季報』の後ろの方に種牡馬の広告がまとめて掲載されているんですが、暇さえあればそこを見ている子供だったんです」と少年時代を懐かしむ目。データの電子化が進んで活字媒体の存在感が年々薄くなっているが、トレセンや競馬場の騎手控室にはいまでも競馬四季報が備えられていて、アナログ世代のジョッキーたちがページをめくるシーンが見られる。

 新人時代の武を“歩く競馬四季報”と書いたことがある。騎乗依頼があると、初めての馬でもそのレースぶりをスッと口にできたのが、武のもう一つの貴重な才能だった。

「テスコボーイもシンザンも乗っていましたか!」

「父(故・武邦彦調教師)が乗っていた時代は、テスコボーイ( '63年英国産、'74、'78~'81年JRAリーディングサイアー)やパーソロン('60年愛国産、'71、'76年同)、ネヴァービート('60年英国産、'70年、'72年、'75年、'77年同)が主流の種牡馬だったと思います。特にテスコボーイは、その産駒のインターグシケン('78年菊花賞)、トウショウボーイ('76年有馬記念、'77年宝塚記念)、キタノカチドキ('74年皐月賞、菊花賞)といったスターホースが父の騎乗馬でしたから、子供心にもすごい種馬だなという印象があります。パーソロンは、シンボリルドルフが強烈なイメージ。ボクはルドルフ('86年引退)と入れ替わりで騎手になった(武は'87年デビュー)ので、パーソロン産駒には何頭か乗った記憶がありますが、テスコボーイ産駒となるとどうなんだろう? ボクが生まれる前の伝説的名馬として五冠馬シンザンがいますが、その産駒にはさすがに乗っていないんでしょうね? でも、長く騎手をやってきたからこそ、こんな話ができるんですよね」

 調べたところ、テスコボーイが21歳のときに種付けして生まれたバンダムテスコに、20歳の武が騎乗してオープン特別を1着していた。シンザン産駒にも、勝利は挙げていないようだが25歳時種付けのスーパーイージー、22歳時種付けのキョウワシンザンに騎乗した記録を見つけることができた。その調査結果を伝えると、

「テスコボーイ、シンザン、どっちも乗っていましたか! ちょっと感動しますね。少し前に、クリストフ(・ルメール騎手)がシンザンの勝負服を着て勝っていましたが、そこに気づいたのはボクぐらいのもの。クリストフは、栗東トレセンの入り口に置かれている銅像でシンザンの名前を知っていて、指摘したらのけぞって喜んでくれました。彼も血統の話は大好きなんですよ」

 と、想像以上に盛り上がってくれた。

【次ページ】 ノーザンテースト産駒は総じて乗りやすかった

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