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右耳は全聾、左耳健常者の20%以下……「お前には無理」と言われた青年が“プロGK”になるまで
posted2020/10/08 06:00
text by
ニコラ・クゴNicolas Cougot
photograph by
L’Équipe
片耳は全聾、もう片方の聴力も健常者の20%にも満たない。そんなハンディキャップを背負いながら、プロ1部リーグのピッチに立ったゴールキーパーがパラグアイにいる。
オラシオ・アルマダ。1991年9月27日生まれ。29歳になったばかりのアルマダは、昨年、プロのGKとして名門クラブと戦うという人生の目的を達成した。
どうしてそんなことが可能だったのか。どうやって障害を克服できたのか。フランス・フットボール誌8月4日発売号でニコラ・クゴ記者が描いているのは、人々の琴線に触れる1つの模範的な人生である。
(田村修一)
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右耳は全聾、左も聞こえるのは健常者の20%以下
オラシオ・アルマダの物語はパラグアイ、アスンシオン南部のサンマルティン・デ・ネムビから始まる。そこで彼はボールに触れるや否や、チームメイトたちを苛立たせたのだった。ひとたびボールを保持するとドリブルを止めず、憑りつかれたようにゴールを目指す。だが、アルマダが1人でプレーをするのは、決してエゴイスティックな理由からではなかった。それは彼の個人的な悲劇に由来するものであった。
「2歳のときに僕は髄膜炎を患った。幸い命はとりとめたけど、以来ずっと耳が不自由なんだ」と、彼は『人生とサッカーへの手紙』というタイトルの、彼自身が記した手記のなかで説明している。
右耳は全聾、左も聞こえるのは健常者の20%以下である。それでも彼のサッカーへの情熱が妨げられることはなかった。フォワードではプレーが難しい。それならば……、後方に下がることを彼は決意した。相手ゴールを目指すよりも、GKとして味方の最後の砦となることを。
「そこが僕にとって、チームメイトと最も円滑にコミュニケーションがとれるポジションだった」
通常の学校教育を受けながら、聾唖者のための学校にも通い手話を習得した。また地元のクラブであるセリトにも所属して、人生最大の目的であるプロを目指しての第一歩を記した。
「プロを目指すのは無理」と言われても……
「ある日、友人たちが僕をクラブに誘った。嬉しくて両親にそのことを話したら、父は最初何も答えなかった。喜び勇んで僕が話すのを母とじっと聞いていた。そして喋り終わるとおもむろにこう言われた。『駄目だ。お前にはちょっと厳しすぎる』と」
今は両親の気持ちがよくわかるが、当時は理解できなかったと彼は言う。承諾を得られないまま、アルマダは両親に隠れてクラブに通い始めた。