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卒論はドラフト会議のマッチング研究 文武両道を地で行く筑波大理系右腕に注目 

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高木遊

高木遊Yu Takagi

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posted2020/10/03 11:00

卒論はドラフト会議のマッチング研究 文武両道を地で行く筑波大理系右腕に注目<Number Web> photograph by Yu Takagi

体育専門学群ではなく、筑波大・理工学群の社会工学類に所属する奈良木。大学ラストシーズンで頭角を現してきた

短期集中、フィジカル重視の府中高へ

 父も兄もやっていた影響で自然と野球を始めたという奈良木。当初から肩の強さには自信があり、小学5年生から本格的に投手に取り組んだ。中学時代では県大会で優勝するほどの実力者で、広島の中学軟式球界では知られた存在だった。

 当然、甲子園常連の県内強豪校からも誘いはあったが、4歳上の兄もOBで「勉強もしっかりやりたかったですし、野球でも面白い取り組みをしていたので」と県立の府中高校に進んだ。

 “面白い取り組み”とは、進学校ゆえの短い練習時間での短期集中、フィジカル重視の練習だ。現在は平日練習50分ながら広島大会4強に進んだ武田高校などのチームに携わり、多くのプロ野球選手も慕う高島誠トレーナーが当時チームに携わっていた。そのため最新鋭のトレーニングや理論を学ぶことができ、高校3年時には最速143キロをマークするようになっていた。

背中を押した高校の恩師、筑波大で勉学も

 当時を知る福永裕也(ひろなり)元監督(現・福山葦陽高校定時制)は「思考力と、その中で決めたことに地道に取り組んでいける実行力がありました」と語る。

 大学で野球をやるかどうかさえ迷っていた奈良木に対して、最後の夏の3回戦敗退後に「上のレベルでできる力がある。やってみたらどうだ」と背中を押したのも福永元監督だった。

 そして進路はこれまで取り組んできた勉強と野球を「どちらかに絞るのではなく、どちらも本気でやりたいと思いました」と国立の筑波大を受験し合格。野球部の選手は体育専門学群が多いが、奈良木は理工学群の社会工学類に所属している。

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