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投手転向1年で150km到達、赤上優人のスカウト評は? 成長を予感した指揮官の12年前の記憶
posted2020/09/30 07:00
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
Koeki Univ.
東北公益文科大学――。
コアな野球ファンと地元の方でなければ、あまり聞き慣れない響きかもしれない。
設立は2001年。同大が拠点を置く山形県と庄内地区の14の市町村が設置費用を負担して誕生した公設民営方式の大学である。アマチュア野球ファンの間で、その名が知られるようになったのは、14年に同大が南東北大学野球連盟で初優勝を飾ってからだ。
指揮を執るのは横田謙人監督。羽黒高(山形)を04年の明治神宮大会、05年の全国選抜高校野球大会でベスト4へと導いた名将だ。昨年は、最速149キロ左腕の石森大誠を育て上げてメディアの注目を集めたが、惜しくもドラフト会議では指名漏れ(石森は熊本ゴールデンラークスへ入団)。同大初のプロ選手誕生は今年以降に持ち越しとなった。
横田監督は1年前をこう振り返る。
「あのままセンターで試合に出していたら」
「(石森は)元々、プロのスカウトさん達にも『支配下で声がかからなかったら社会人に行かせてもらいます』と話をしていました。それは事前に本人とも話していましたし、『大卒だし、きちっと社会人を経由して、もう一度、プロ入りのチャンスを掴み直しなさい』と話をしました」
石森は2年秋までは外野手としてプレーしており、打率3割3分3厘、4盗塁(2年春)を記録するなど“二刀流”としても期待された。
「あのままセンターで彼を試合に出していたら、もしかしたら指名がかかっていたかもしれません。足も50m5秒7と俊足ですし、身体能力も動物みたいな感じでした。150km近い球を投げる子ですから、肩も強くてレーザービームのような送球が返ってきます。守備範囲も広いなんてものじゃない。今すぐプロに行っても普通にこなせるくらいに身体能力はズバ抜けていました」