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藤沢調教師は競馬界を変えてきた。
キーンランドCとエポワスに思う。 

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2020/08/28 19:00

藤沢調教師は競馬界を変えてきた。キーンランドCとエポワスに思う。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

2017年のキーンランドCを勝ったエポワス。藤沢調教師が競馬界に起こした革命を思わせる勝利だった。

藤沢調教師が競馬にもたらした革命。

 さて、そんな藤沢調教師はこの6月の函館競馬場にシークレットアイズを送り込み見事に1着。これがJRA通算1500勝目のメモリアル勝利となった。

 この記録は過去に尾形藤吉元調教師のみが達成していた数字。つまりJRA史上2人目の大記録。尾形藤吉氏が数々の偉大な記録を残している素晴らしい調教師であることに疑いはないのだが、当時と現在ではあまりにも競馬の仕組みそのものが違い過ぎる。そういう意味で、藤沢調教師の記録は近代競馬史上初の大記録と言っても過言ではないだろう。

 この現代の伯楽が日本の競馬界に多くの革命をもたらしてきた事は、ホースマンは勿論、競馬ファンなら誰もが知るところだろう。本人は「イギリスのニューマーケットで学んできた馬にとって良いと思える事をそのまま持ち込んだだけ。革命でも何でもない」と一笑にふすが、例えば今では当たり前になっている馬なり調教や集団調教を日本で最初にやったのも彼だった。新しい事をやればそれなりに反発はあったようで、結果が出るまでは周囲の反発も強かった。身内である厩舎の内部から反対の声が上がることすらあったそうだ。

“選択と集中”の重要性を。

 しかし、信念に従い、妥協しない姿勢を貫き通す事で徐々に結果を出して行った。

 そんな姿勢の1つに距離別体系に合わせた馬の使い方というのがあった。ひと昔前は、デビュー当初は短い距離を使っていても、出世するに従って長い距離を使うようになるのが当たり前だった。レース番組自体も距離別の体系が整っていない事もあったが、元々1200メートルを走っていたような馬が2400メートル戦や場合によっては3200メートルの天皇賞に出走してくるなんて事も決して珍しくはなかった。

 そんな中、藤沢調教師は厩舎を開業した早い段階から、管理する各馬の個性に合わせて一貫した距離を走らせた。いわば“選択と集中”の重要性をホースマンに知らしめたのだ。

【次ページ】 距離適性を考えて成し遂げたこと。

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