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<オリンピック4位という人生(終)>
リオ五輪 7人制ラグビー桑水流裕策 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byJMPA

posted2020/08/30 20:00

<オリンピック4位という人生(終)>リオ五輪 7人制ラグビー桑水流裕策<Number Web> photograph by JMPA

南アフリカとの3位決定戦に挑んだ7人制ラグビー主将の桑水流裕策(右)。

ブライトンの衝撃、五郎丸のプレー。

 そう思いつめていた時期、あのゲームを見た。2015年夏、イングランド・ブライトンで起きた奇跡である。

 エディー・ジャパンが南アフリカとW杯初戦を戦ったあの日、セブンズは成田で合宿をしていた。キックオフは真夜中だったが始まると何かが起こりそうな空気が伝わってきた。言葉を失い、画面に引き込まれていく。3点を追うロスタイム、逆転勝利を告げるカーン・ヘスケスのトライが左隅に決まった瞬間、桑水流は泣いていた。

 雌伏の時を過ごしてきた日本ラグビーが夜明けを迎えた瞬間だった。

 画面の中に五郎丸歩がいた。

 鹿児島と福岡。同学年。高校時代から九州選抜で何度も顔を合わせてきた。

「五郎丸は高校の時からオーラがあって、私たちの世代の象徴的な存在でした。彼らが南アフリカを倒した姿を見て、本当に勇気をもらったんです。俺たちにもできるはずだと、そう思うことができたんです」

3位決定戦、南アフリカを相手に……。

 何かを変えることができる。そう信じて挑んだリオ五輪、セブンズ・ジャパンはそれを証明した。1次リーグ初戦でニュージーランドを倒した。その勢いのまま、メダルに手が届くところまで駆け上がった。

 3位決定戦、宵闇のデオドロ・スタジアムで対したのは奇しくも南アフリカだった。

 ホイッスルと同時に、両国セブンズがぶつかり合った。

 開始直後にトライを奪われたが、その5分後、桑水流が濃緑ジャージの間をすり抜け、相手タックルに右足のスパイクを刈り取られながらも、ゴール右に飛び込んだ。

 7-21。勝機を残して前半を終えた。だが、そのハーフタイム、桑水流は自分たちが“空っぽ”であることに気づいた。

「日本はメダルをかけた試合自体が初めてでした。疲労なのか重圧なのか……。確かにニュージーランド戦のような集中力はなかったと記憶しています」

 7人制ラグビーは1日2試合のスケジュールで進む。日本はこの日の午後、フィジーと準決勝を戦った後、そのまま競技場のロッカーで休息して、このナイトゲームを戦っていた。大会を通じて6試合目。タックルとランの反復が売りである桑水流でさえ、枯渇していく感覚があった。

 後半が始まると、南アフリカはギアを上げてきた。褐色のスプリンターが、日本の守備網を次々と切り裂く。桑水流はやがて、その背中を追うことすらできなくなった。

 14-54。それだけの差があった。

【次ページ】 リオ後もセブンズの環境は同じだった。

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