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中国大返しを伝説にした情報戦と
「足軽=トレイルランナー」説。 

text by

山田洋

山田洋Hiroshi Yamada

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photograph byAFLO

posted2020/07/19 20:05

中国大返しを伝説にした情報戦と「足軽=トレイルランナー」説。<Number Web> photograph by AFLO

月岡芳年の「山崎大合戦之図」。この戦場に秀吉軍がたどり着いたのには、膨大な準備があったのかもしれない。

秀吉のデマは400年効いていた。

 しかし、千田教授の説明を聞くと腑に落ちる点ばかりの御座所に関する「新説」は、なぜこれまで誰も気が付かなかったのだろうか?

「さっきの情報戦の影響ですよ。当時のことを知るには文献を辿るしかないわけですけど、その文献が秀吉の流したデマだらけなんです(笑)。光秀を討った後も彼は話を盛るんです。3日かかったという話を『2日で成し遂げた!』と誇張してみたり、さっきも言いましたが『信長は生きている』と言ったりでね。

 こうした秀吉の情報戦に、文献を重視する研究者たちは400年間翻弄されてきたんです。でも、アプローチを変えると、新しい見え方が生まれてくる。それが兵庫城の発掘調査に象徴される考古学の視点なんです」

 明智光秀との山崎の戦い後、秀吉は天下人への階段を一気に駆け上がっていく。この「中国大返し」は、天下を取る男のあらゆる才能が凝縮された、まさに秀吉の武将人生のハイライトなのかもしれない。

「天下を取る人とそうでない人の違いがどこにあるかというと、戦には『必勝の戦い』と『必死の戦い』というのがあります。必勝の戦いは、城攻めするような作戦を伴った合理的な戦略が必要です。

 一方の必死の戦いは、勝敗がどちらに転ぶかわからない状況での戦。桶狭間の信長がそうであったように、秀吉もこの必死の戦いで最前線に立った。

 しかし、光秀はその知将ぶりを発揮する必勝の戦いは得意ですが、山崎の戦いでも最後まで最前線に立ちませんでした。人の上に立つリーダーに求められるものが何なのか、今も昔もそれほど変わらないのかもしれませんね」

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