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中国大返しを伝説にした情報戦と
「足軽=トレイルランナー」説。
text by
山田洋Hiroshi Yamada
photograph byAFLO
posted2020/07/19 20:05
月岡芳年の「山崎大合戦之図」。この戦場に秀吉軍がたどり着いたのには、膨大な準備があったのかもしれない。
鎧兜を着て230kmは走れない。
現代で言えば、インターネットを経由して情報を多角的に入手できるが、高度な通信技術の発達の裏には情報をハックする巧妙な罠も潜んでいる。戦いはいつの時代も情報戦であり、心理戦だ。それはスポーツの世界でも変わらない。
例えば、ツールドフランスでは各チームがデータをもとに無線を利用して情報を共有し、アタックのタイミングなど戦術を練っていくが、誰かがデータを独占したり、無線を乗っ取ったりすれば、ライバルをかく乱することもできるだろう。
もうひとつ「中国大返し」をスポーツの視点から分析する際に、気になるのが足軽たちの服装だ。岡山から動き始めた当初は1万5000程度ともいわれる大軍勢の中で、馬に乗るのは一部の武将のみで、大多数は足軽たちだ。
確かに御座所がエイドステーションのように機能したとしても、鎧兜を着て、武器を身に着けた足軽たちが何日もフルマラソンを続けることが可能なのか。そんな疑問が浮かんだ。
「戦(いくさ)と聞くと重装備でもある甲冑を思い出しますよね。でも、当時の様子を描いた絵巻物を見ると、めっちゃくちゃ軽装備な人たちがたくさん描かれているんですよ。実は戦場では甲冑を装着しますけど、少なくとも移動の際は脱いでいたと思われます」
足軽はトレイルランナーだった?
山でのアクティビティにおいて、重装備の登山、軽装備のトレランと言われるが、軽装備になると長い距離を移動することが可能になるが、それと引き換えに最低限の補給食などしか常備しないことから、エイドステーションの存在が不可欠となる。
ウルトラと呼ばれる100㎞オーバーのトレイルランニングの大会においては、走る選手を仲間がサポートすることも許可されている。戦争に例えれば「補給班」といったところだ。そして当時、足軽には荷物の運び役もいたようだ。
「荷運び役は足軽が個人で雇っていたようなので、お金が必要です。でも、秀吉は配下の足軽たちに報奨金を前倒しで払うこともしていましたから、そのお金で荷運び役を雇ったケースも多かったんじゃないですかね。秀吉のことですから、そこも計算のうちだったと想像できます」
そう、中国大返しの足軽たちは、身軽な格好で山道や不整地を移動していたのだ。千田教授は続ける。
「そう、彼らはまさにトレイルランナーだったんですよ」