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本田圭佑のSNSとブラジルのタブー。
サッカー選手の“概念”を変えるか? 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byZUMA Press/AFLO

posted2020/07/17 15:00

本田圭佑のSNSとブラジルのタブー。サッカー選手の“概念”を変えるか?<Number Web> photograph by ZUMA Press/AFLO

ボタフォゴ移籍後もSNSで積極的な発信を見せる本田圭佑。その言動はブラジルサッカー界を驚かせている。

ロマーリオ、エジムンドらのメディアとの軋轢。

 過去、ブラジルではロマーリオが自身の夜遊びについてメディアに繰り返し報じられて「うるさい。いい加減にしろ」と喧嘩腰になったことがあるし、エジムンドも1995年に自動車による死亡事故を起こして報道が過熱した際、不満をぶちまけたことがある。

 しかし、彼らの場合は個人的な問題についてメディアとやりあったにすぎない。
 
 5日の本田の投稿を読んだあるボタフォゴファンは「最近、新しい楽しみができた。それは夜、寝る前に本田のブラジル社会やフットボールへの批判や提言を読むことだ」とつぶやいている。
 
 ボタフォゴ入団後、本田は自身のSNSを通じてブラジルにおける新型コロナウイルスの感染爆発への疑問、感染が収まらない時期にリオ州選手権を再開することの是非、リオ州サッカー協会を批判したパウロ・アウトゥオリ監督(ボタフォゴ)への処分に対する抗議、そして今回のリオ州選手権の規則への異論など、ブラジルの社会とフットボールに対する意見を度々発信しているのである。

秀才ソクラテスも問題提起した。

 このことがクラブ関係者、メディア、ファンらを少なからず驚かせているのは事実である(傲慢さとの解釈とはまた別の意味で、だ)。

 なぜなら、近年、ブラジルでこのような発言をした選手はほとんどいないからだ。

 ほぼ唯一の例外が、ソクラテスである。若手プロとしてプレーしながらブラジル最難関の大学の医学部を卒業したスーパーエリートで、1980年代前半、時の軍事独裁政権に反旗を翻して、大統領直接選挙の実施を求める民主化運動に参加したこともある。

 なおかつ1970年代から80年代にかけてコリンチャンスなどで活躍し、1982年と86年のW杯に出場した名プレーヤーだ。

 彼は現役を退いてからもスポーツドクターを務めるかたわら、週刊誌にコラムを書いたり戯曲を創作したりと文化的な活動に勤しんだ。

【次ページ】 選手の社会的地位が伝統的に低い。

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