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宝塚記念馬サイレンススズカの記憶。
武豊が見たサラブレッドの「理想」。
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byTomohiko Hayashi
posted2020/06/27 11:45
胸のすく大逃げからの快勝、圧勝でファンの記憶に残り続けるサイレンススズカ。しかし、GI勝利は宝塚記念だけだった。
ウマヤの中を勢いよく回ることを覚えてしまった。
ところがサイレンススズカはこれが大いにショックだった。
同じ時期に乳離れした仲間がとっくに自立してしまっても、なかなか母との楽しい毎日を吹っ切ることができなかったようで、憂さ晴らしなのか、ウマヤの中を勢いよく回ることを覚えてしまった。
競走馬としての値打ちにも大きく影響する「旋回癖」という悪癖である。
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なぜこれが問題かというと、まず、狭いウマヤの中を際限なく回ることでケガのリスクが格段に大きくなる。そのうえ、ほとんどの馬がいつも同じ方向に回るため、蹄の減り方に偏りが出てしまうのだ。サイレンススズカは左回り専門だった。
稲原牧場では、この癖を止めさせようと、最初に旋回できないように古タイヤを吊ってみた。
しかし、サイレンススズカはこれを上手に潜り抜けるため、すぐに無効だと分かった。次にウマヤの壁面にピカピカのステンレスを張って、自分が興奮して走り回る姿を見せて治そうとしたものの、これも効果は3日ほどしかなかった。
能力はずば抜けていて、すぐに栗東で噂に。
この悪癖を抱えたまま、サイレンススズカは2歳の冬に栗東の橋田満厩舎に入厩した。
能力はずば抜けていて、未出走の調教段階ですでに栗東で噂になっていたが、旋回癖は入厩後もついに矯正はできなかった。ウマヤに畳を吊るなど、ありとあらゆる方法を試してみたものの効果はなく、ついに根負けした橋田調教師が、「好きに回らせるしかない」と、ウマヤの中に障害物を1つも置かなくなってからのほうが、むしろ落ち着いている時間が多くなったという。
後にサイレンススズカが実績を残すようになると、用囲は「だから左回りが得意なのか」とか、「この自主トレが効いているんやね」とか、無責任なことを言っていたが、担当厩務員の加茂力は「毎日が本当に大変だった」と当時を振り返る。
蹄鉄は普通では考えられないぐらいの速さで減り、削蹄にも常に細かく気を造ってやらないと致命傷に発展しかねない危うさがあったという。
ただ、加茂がウマヤで仕事をしている間は旋回癖もそうひどくはなかった。
そのため加茂はできるだけ一緒にいようとし、毎日の帰宅時間は遅くなっていった。いつしかサイレンススズカは加茂に母性のようなものを感じていたのかもしれない。この加茂への「思い」が、誰にも想像できないような災いを招いてしまった。