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宝塚記念馬サイレンススズカの記憶。
武豊が見たサラブレッドの「理想」。
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byTomohiko Hayashi
posted2020/06/27 11:45
胸のすく大逃げからの快勝、圧勝でファンの記憶に残り続けるサイレンススズカ。しかし、GI勝利は宝塚記念だけだった。
生まれたときは「小さくて、華奢で、可愛くて」。
そこでようやくサンデーサイレンスをつけることになった。つまり、サンデーサイレンスは代打の代打だったのだ。
「とにもかくにも、1回で無事に受胎となったことでホッとしたことだけは鮮明に覚えています」(稲原)
生まれたときは「小さくて、華奢で、可愛くて」と、稲原は振り返る。ペットなら「可愛い」は最高の褒め言葉だが、競走馬の場合はそうではない。不安いっぱいの第一印象だったことが伝わってくる。毛色も、父とも母とも違う、明るい栗毛だった。
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サンデーサイレンスが種牡馬としての名声を高めていくなかで、走る馬といえば、「黒い馬」というのが通り相場になった。
サンデーサイレンスの被毛は、黒鹿毛よりもさらに黒い、眩しい日差しに青光りする「青鹿毛」。サンデーサイレンスは自身が持つ特徴的な毛色さえも、産駒に伝えようとした。
それゆえサイレンススズカはサンデーサイレンスの2年目の産駒から、イシノサンデーという栗毛の皐月賞馬が出るまでは「この子は大丈夫だろうか」という目で見られ続けていた。
頼れる存在がないと不安でしょうがないという馬。
そんなサイレンススズカは、何かに頼りたい、頼れる存在がないと不安でしょうがない、そういう馬だった。
最初の試練は、「乳離れ」だった。概ね生後6カ月をメドとして行なわれる、サラブレッドの成長の過程において、避けては通れないこの儀式。
放牧地から、いつもなら母子連れ立ってウマヤに帰ってくるところを、その日は母ワキアだけをなにげなく連れ帰り、姿が見えなくなったのを見計らつて少し離れた別の厩舎にサイレンススズカを分離した。
どんな母子でも、寂しがって三日三晩泣き続けるというが、それが済むとウソのように自立する。そのあとは、たとえ放牧地ですれ違ったとしてももう他人同士。
ベテランの母馬ともなると、その時期が近づくとまるでそれを予期しているかのように、放牧地でも子供との距離を置くようになり、非常にスムーズに運ぶケースも少なくない。