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宝塚記念馬サイレンススズカの記憶。
武豊が見たサラブレッドの「理想」。
posted2020/06/27 11:45
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Tomohiko Hayashi
1998年11月1日、天皇賞。2番手に10馬身もの差をつけて、快調に先頭を駆けている美しい栗毛の馬の勝利を、誰もが確信していた。
普通の馬なら明らかにハイペースだが、この馬にとってはマイペース。あとは何馬身離して、どれほどのタイムでゴールするかに興味は移っていた。
しかし、3コーナー過ぎ、突然、鞍上の武豊が手綱を引いて馬を止めた。
大差をつけられていたその他の出走馬たちが脇を次々に通り過ぎていくなか、その馬は骨折した左足をわずかに上げて、おとなしく立っていた。その姿から目を離すことが出来なかった私に、このレースのゴール前の記憶はない。
満員の府中のスタンドは、どよめきと悲鳴が交錯していた――。
武豊は特別な表現で「別格」を強調した。
サイレンススズカの死から、早くも9年が経った。実績を見ると、GIはわずかに1勝。しかし、大逃げを打ってそのまま逃げ切るというスタイルが、いまだに強く記憶に残っているファンも多いだろう。
鞍上にいた武にとっても同様だと思う。
過去にサイレンススズカについて「もっとも勝ちやすい馬」と極めて高い評価をしたことがある。その後もディープインパクトという史上最強馬をはじめ、数々の名馬の手綱を取ってきた武にとって、今、サイレンススズカとはどのような存在なのだろうか。
あらためて訊いてみると、これ以上ない簡潔な表現で答えが返ってきた。
「理想のサラブレッドです」
様々なタイプの名馬の乗り味を体感してきたスーパージョッキーが、特別な表現で「別格」を強調した。心底からこの馬に惚れ込んでいたことは、「最初から最後まで、どの馬より速く走ることができる稀有な才能の持ち主でした」と話るときの瞳の輝きが雄弁に伝えていた。
武はサイレンススズカに、どのような「理想」を見ていたのだろうか。