オリンピックへの道BACK NUMBER
瀬戸大也が同級生をコーチに抜擢。
内村、小平も選んだ最後のピース。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2020/05/31 20:00
リオ五輪も一緒に臨んだ梅原孝之コーチ(右)のもとを離れ、新たな道を歩む瀬戸。
「違ったアプローチの方が、覚悟を持って挑戦できる」
だが、目指してきた“山”が動いた。緻密に準備を重ねてきて、結果でそれを示していたから、失意は大きかった。
「覚悟を持って東京オリンピックに向けてトレーニングや調整をしてきたからこそ前向きな発言ができませんでした。延期が決まった時は喪失感で抜け殻になりました」
心境を明かしている。
そこから脱け出すために、瀬戸は決断した。1つが梅原コーチから離れることだった。
今日までの足取りを見れば、梅原コーチの指導のたしかさは感じられる。
それよりも瀬戸を行動に移させたのは、「違ったアプローチの方が、覚悟を持って挑戦できる」という思いだった。再起するためのアプローチだった。
そして、浦氏と歩むことになったが、浦氏のキャリアを考えれば、先に記したように、異例ともとれる。
1年後輩をコーチに迎えた。
そんな瀬戸の決断を見て、思い起こす選手がいる。体操の内村航平だ。
内村はリオデジャネイロ五輪が終わったあと、佐藤寛朗氏をコーチに迎えた。佐藤氏は内村の1年後輩で小学生の頃、合宿で一緒になったのを機に交友を深めた。
佐藤氏はオリンピックや世界選手権代表には届かなかったが、選手として活躍を続け、2013年に引退。指導者を志し、オーストラリアに渡った佐藤氏に、内村からコーチの依頼があった。
すぐには引き受けられなかったが、何度かやりとりし、承諾した。
内村が佐藤氏を選んだのはなぜだったのか。
一昨年、印象的な言葉を語っている。