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カズのブラジル初ゴールを目撃した
唯一の日本人記者、色褪せぬ記憶。 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2020/06/03 11:50

カズのブラジル初ゴールを目撃した唯一の日本人記者、色褪せぬ記憶。<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

1988年3月19日のプロ初ゴールを伝えるパウリスタ新聞。記事と写真は筆者が手掛けたものだ。

現地の邦字紙の記者として取材。

 試合はキンゼのホームゲームで、本拠地ジャウーで行なわれる。サンパウロから北西へ約300キロ。車で3時間余り、ということだった。

 対戦相手のコリンチャンスは、ブラジルを代表する超名門クラブ。CFエジマール、右SBエジソンら現役代表や元代表を揃える強豪だった(結果的に、この年の州王者となる)。

 プロとしてはまだ駆け出しのカズが、この巨人にどこまで通用するのか――そう思ったが、面白い試合にはなりそうだった。

 僕は大学卒業後、郷里の広島で会社勤めをしていたが、3年で退社。1986年ワールドカップ・メキシコ大会を現地で観戦し、「これが本物のフットボールなのか」と衝撃を受けた。

 当時、Jリーグはまだ影も形もなかった。「本場でプロの試合を見たい」と考えてブラジルへ渡り、サンパウロの東洋人街にあった邦字紙「パウリスタ新聞」にもぐりこんだ。社会部記者として働きながら、多いときは週に4回、スタジアムへ足を運んでいた。

 夕方、編集長が社へ戻ってきた。

 彼は日本の昔の文士もかくや、と思わせる無頼派だった。午後はいつも博打を打ちに行き、夕方遅い時間に帰ってきて、記者が書いた原稿をとりまとめる。

 新聞社が稼働するのは、月曜から金曜まで。土曜と日曜は休みだが、何かイベントがあれば記者は取材に行く。日曜と月曜は新聞は発行されず、週末のニュースはようやく火曜の紙面に出る。

「自分で写真を撮ってきてくれ」

 編集長にカズの取材のことを話すと「カメラマンは出せないから、自分で写真を撮ってきてくれ」と言われた。

 当時、僕は新聞社に入って1年余りだったが、それまで仕事で写真を撮ったことは一度もなかった。会社のえらく古い一眼レフを借り、使い方を教わった。ただし、望遠レンズなどというものはない。ど素人だから、まともな写真が撮れるはずがない。それでも、何か撮ってこなくてはならない。

 次の土曜日、つまり3月19日の昼前、納谷さんと新聞社の前で落ち合った。車は中型のセダンだった。 

 納谷さんは饒舌だった。ハイウェーを時速100キロ前後で飛ばしながら、カズが南部のクラブではバスによる長時間移動とマーカーのプロレスまがいのラフプレーに苦しみながら技を磨いてきたこと、北部の海岸町では「ガリンシャ・ジャポネス」(日本のガリンシャ)と呼ばれて人気者だったことなどをまくしたてた。

「今は、チームもカズも好調だ。今日の試合は期待できるぞ」

「カズには『おまえが点を取ったらコリンチャンスに勝てるぞ』と言っておいた」

【次ページ】 コリンチャンス戦に溢れる熱気。

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キンゼ・デ・ジャウー
三浦知良

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